忍者ブログ

shinobu様ご推薦 2

サテリコン
(1969年イタリア・フランス/監督・脚本:フェデリコ・フェリーニ/出演:マーティン・ポター、ハイラム・ケラー)

故・淀川長治氏はこの作品を評して「目もくらむイタリア古典美術。毒の血で染めたローマ禁色の花!」と言ったが、まさにそのとおりの作品。
ローマ皇帝ネロの寵臣ペトロニウスが、古代ローマの享楽と頽廃を描いたヨーロッパ最古の小説『サテュリコン』。
しかし完成した映画は、人間のむきだしの内臓で塗ったような生々しい色彩の映像により、
自由奔放なイメージと造形が、まさに“怒涛のように”押し寄せる、
フェリーニ流一大サーカスとなっている。主人公である2人の青年、エンコルピオ(マーティン・ポター)と
アシルト(ハイラム・ケラー)の美少年ジトン(マックス・ボーン)をめぐる争いを皮切りに、男色・女色入り乱れた
古代ローマの狂騒と放蕩ぶりが存分に描かれるが、奇怪な阿片窟、白子のヘルマプロディスト、
牛頭人の迷宮、全身刺青の魔女、腐った鯨、船上での男同士の結婚式、あらゆるタブーが良しとされる貴族の饗宴など、
ヘタをすればバッド・トリップしそうなほど強烈で色褪せないイメージの奔流が、スクリーンから観客の視覚を刺激する。
フェリーニ作品の常連、二ーノ・ロータによるスコアも、この作品ではアフリカンミュージックからケチャ、般若心経、
電子音楽などをさまざまに融合させ、トリップ感抜群。
ヒッピー・ムーブメント全盛期のマジソン・スクエア・ガーデンでのプレミア上映の際は、会場を埋め尽くした1万人もの若者を熱狂させたというのも、
この作品にふさわしい伝説だろう。
“映像の魔術師”フェリーニの漲るパワーと、是非スクリーンで対峙し、その刺激を全身に浴びてほしい一作だ。


キリング・ゾーイ
(1993年アメリカ・フランス/監督:ロジャー・エイヴァリー/
出演:ジャン=ユーグ・アングラード、エリック・ストルツ、ジュリー・デルピー)

旧友エリックに呼ばれてフランスを訪れた金庫破りのゼッド。
その夜、出会った娼婦ゾーイと心を通わせるゼッドだったが、再会したエリックはHIVに感染し、放埓な生き方をしていた。
彼はゼッドに銀行襲撃の計画を告げるが、それはあまりに無謀で成功率の低い、危険極まりない計画だった。
基本的には一種のフィルム・ノワールで、エリック、ゼッド、そしてゼッドが恋に落ちた女ゾーイについての物語なのだが、
ゼッドを見るエリックの目が意味深で、汚れ役でもどこか艶っぽいアングラードの佇まいが、
エリックがゼッドに寄せる感情の特別さを想像させ、三角関係ものと思っても楽しめる。


傷ついた男
(1983年フランス/監督:パトリス・シェロー/出演:ジャン=ユーグ・アングラード、ヴィットリオ・メッツオジョルノ)

「現代フランス演劇の最高峰」と呼ばれる演出家パトリス・シェローが
『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』などの著作で知られる作家パトリス・シェローと共同で書いた脚本を、自ら映画化した作品。
ジャン=ユーグ・アングラードがこの作品で世に出たことでも知られている。
内向的で孤独、両親ともうまくいっていない少年アンリは、バカンスに発つ妹を見送りに駅へ行ったとき、一人の男に出会う。
その男、ジャンは悪徳警官として知られていたが、アンリはやむにやまれぬ衝動に駆られて、
彼を求めて夜の街をさまよう。
だが、自身の抱える闇に振り回されるかのような粗暴さを見せるジャンは、追ってくるアンリを冷酷な態度であしらい……。
シェロー自身はこの映画を「ホモセクシュアルの物語ではなく、パッションの物語」と言っていたが、
ダニエル・シュミットの作品で知られるレナート・ベルタの撮影による、夜の闇の深さを妖しく際立たせるような映像に、
一人の少年の暗く燃える情熱と混沌が沁みわたっていくさまが、見つづけるうちこちらの心をかきむしる。
それも、シェロー自身「いつも思春期の感情に飢えて心が揺れているような人」(ジャン=ユーグ談)だそうだが、
その分身のように不安定で小動物的なまなざしを見せるジャン=ユーグの存在と演技があってのことだろう。


苺とチョコレート
(1993年キューバ=メキシコ=スペイン/監督:トマス・グティエレス・アレア/
共同監督:ファン・カルロス・タビオ/出演:ホルへ・ベルゴリア、ウラディミール・クルス)

80年代、ハバナ。公園でチョコレートのアイスクリームを食べていた青年ダビドに、ディエゴという男が話しかけてくる。
人前で苺のチョコレート(キューバでは女子供の食べ物と目されている)を食べ、
ゲイであることを隠さないディエゴに嫌悪を感じるダビドだが、
友人に「反革命分子に違いないから身辺を見張れ」とそそのかされて、ディエゴのもとへ足を運ぶようになる。
交流を重ねるにつれ、キュレーターの仕事をするディエゴの完成の豊かさ、あらゆる芸術に精通する知識の深さに触れ、
友情を深めていく。だが、そんな彼らに、周囲の風当たりは厳しく……。

キューバ映画の巨匠が作った作品ということで、ヘタをすれば陳腐な人情話になりかねないところが、
娯楽性とメッセージ性のバランスの取れた内容、人間性への信頼を表現する堂々とした演出ぶりなど、実にお見事。
人間同士が真に理解しあうためにセクシュアリティの壁は必要ないということを嫌味なく訴え、
殊にラスト、亡命を決意したディエゴとダビドの別れのシーンは、冒頭のアイスクリームのエピソードが効いて感動的。


ウェディング・バンケット
(1993年台湾=アメリカ/監督:アン・リー/出演:ウィンストン・チャオ、ミッチェル・リヒテンシュタイン、メイ・チン)

NYに暮らす実業家のウェイトンは、アメリカに帰化した台湾人。彼は恋人の白人青年サイモンと暮らしていたが、
両親の為に苦肉の偽装結婚をすることになる。
不法入国中で、グリーンカードを取得したいアーティストの卵ウェイウェイと、急ごしらえの花嫁花婿になりすますが、
二人を待っていたのはパワフルな中国式結婚披露宴。大騒ぎのすえ寝室に押しこめられて、
ウェイウェイは強引にウェイトンと関係を持ってしまう。
しかも、その一度で、彼女は妊娠してしまい……。

デビュー2作目にしてベルリン映画祭グランプリ(金熊賞)を受賞した、アン・リーの出世作。
偽装結婚によりはからずも“父親”になってしまったゲイ男性とその恋人、親たちとの関係、
さらにセクシュアリティやジェンダーなどの複雑な問題を、ユーモアを交えた語り口で表現しつつ、
最後に彼らが“調和”による共同生活を選び取るさまが描かれ、爽やかな印象を残す快作だ。
主人公のゲイカップルや偽装結婚するヒロインばかりではなく、台湾から来た両親に注がれる眼差しも暖かく、
とりわけ父親が最後に息子の恋人に見せる思いやりは、これが中国五千年の英知の正しい使い方、と思わせられる。
メッセージは明確なのに、あくまでチャーミングという稀な作品。


ブロークバック・マウンテン
(2005年米/監督:アン・リー/出演:ヒース・レジャー、ジェイク・ギレンホール)

今年のオスカー・レースでは作品賞の大本命と目され、実際、そこに到るまで
ヴェネチア映画祭の金獅子賞をはじめ様々な賞を受賞しつづけた作品だが、
フタを開けてみると監督賞を含む3部門の受賞で、作品賞が『クラッシュ』に行ったときは、
正直「ゲイ映画にオスカーなんかやれねーよ」というアカデミー協会員の心の声が聞こえた気がした。
しかし、本作がそうして指示されると同時に拒絶されるのは、ある意味、アメリカの“真実”を、
描きだしてしまったためだろうと思う(特に西部)。
それは何かというと、同性愛は誰にでも起こりうる事態なのだ、ということと、
そして、自由の国アメリカが(今さらながら)実はまったく自由ではなく、多くの不自由な人々を生み出しているのだ、
ということ。

1963年、20歳のイニスとジャックは、羊の放牧管理の仕事を得て、ワイオミング州ブロークバック・マウンテンで出会う。
タフな大自然の中でキャンプ生活を共にするうち、心を通わせていく二人は、あるとき衝動的に一夜をともにする。
しかし、牧場主(すっかり貫禄の体型になったランディ・クエイド)は二人の関係に気づいて、夏が終わるより早く山を降りさせた。
別々の道へと去った二人は、その後お互いに結婚し、父親にもなるが、心の底には常に違和感をおぼえていた。
そして4年ぶりの再会。以降、情熱を止められない二人は、妻たちには釣り仲間と話して逢瀬を繰りかえしていく。
というのが大まかなストーリーだが、原作に比べると主人公二人のみならず、彼らの妻たちや家族の描写も多く盛り込まれ、
結果としてゲイ・バッシング激しい地で彼らが生活していくために、いかに心を押し隠し通さなければならなかったか、
その“秘密”が周囲の人間たちをも幸福にしなかったことを、決して声高にではないが、的確に伝えていく。
冒頭の、イニスとジャックとの出会い(このとき既にジャックはイニスの姿を目で追っている)から、
アン・リーならではの繊細な演出が存分に見られ、ワンシーンたりとも目が離せない。
シンプルだが深い意味をもつ台詞も、一瞬聞き逃しただけで物語をミスリードする可能性があるほどで、
その意味ではかなりスリリングな緊張感を強いられる。
けれど、それだけに、イニスとジャックが選んだ人生の対比として、輝き続けるブロークバック・マウンテンの風景は、
観る者の心にも刻みつけられるものがある。
この映画の公開後、サウンドトラックにも参加したウィリー・ネルソンが新曲で
「カウボーイってのはこっそりとお互いを好きになっちまう」「同僚たちへの気持ちをどう表現していいかわからないカウボーイは大勢いる」
「どのカウボーイの心にも女が住んでいる」などと歌って物議をかもしているが、
この映画のもうひとつ何が凄いというのは「男同士の熱い友情というのは、恋愛に発展する可能性もある」と、堂々と言いきった事だと思う。
つまりは人を愛する心を枷にはめても仕方がない、ということなのだが。
結局、オスカーの命運を分けたのは、異邦人ならではのアン・リーのこの大胆さと冷静さ、だったのかもしれない。

PR

Copyright © syudo : All rights reserved

「syudo」に掲載されている文章・画像・その他すべての無断転載・無断掲載を禁止します。

TemplateDesign by KARMA7
忍者ブログ [PR]