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shinobu様ご推薦 竹宮恵子

【竹宮恵子】

『風と木の詩』竹宮惠子(白泉社文庫・全10巻/中公文庫コミック版もあり)
最初に、やはり、このことは書かなければならないだろう。すべてはここから始 まったのだ。 
この作品が登場し、冒頭からカラーで少年同士のセックス・シーンが描かれたこ との衝撃について、
当時、寺山修司はこう書いている。「『風と木の詩』は、少 女コミック風に描かれた、価値紊乱の世界である。
その出現は、パリの文壇に、 作者不明の『O嬢の物語』や、サドの『ジュスチーヌ』が出現したときのような 大事件を思わせる。」と。
寺山修司の驚きはもっともだった。「なにしろ、ここには男色、近親相姦、裏切り、
強姦、といった従来の少女コミックでは思いもつかなかったような内容が描 かれてい」たのだから。
今でこそそうした内容は、少女漫画が扱って当然の題材 となっているが、そのことにせよ、進む道に最初の一歩をしるしたのが、
本作で あることは疑いがない。 勿論、それまでにも同様の素材をとりあつかった作品はあった。
だが、少女誌と いうワクの中では、誰もがほのめかしを強いられたのに対し、
竹宮惠子は真っ向 から読者と「少女漫画」というメディアに与えられていた規制に、勝負を挑んで きたのである。
その切っ先は、鮮烈だった。 物語の中心になるのは、二人の少年の成長記である。子爵家の跡取りとして育てられながら、
母方のジプシーの血ゆえに冷遇され、それでも挫けることなくこず えを伸ばし、
逆境をはねのけて育つ若木のようなセルジュ・バトゥールと、彼の 青春に「こずえを鳴らす風」のように現われ、
去っていくジルベール・コクトー 。主軸はこの二人の闘いにはじまり、悲劇に終わる恋の行方だ。 
舞台は南仏・アルルの寄宿学校、ラコンブラード学院。ここに転入してきたセル ジュとジルベールの出会いから物語ははじまり、
同室になった彼らのぶつかり合 いや葛藤を経ての心の変化が、ひとつひとつの細かいエピソードを積み上げながら綴られていく。
加えて、それぞれが背景にもつ家の事情、過去(実は父親であ る叔父のオーギュに、力による支配によって飼いならされ、
育てられたジルベー ルの幼少期、セルジュの両親であるアスランと、ジプシーの血を引く高級娼婦パイヴァの焔のような恋など)に、
さらに彼らをとりまく学院の少年たちなど、数 多くの人物像を絡ませつつ、愛や恋のみならず、利害・陰謀・野心・裏切り・復 讐といった、
人間臭い要素を幾重にも連ねて流れていく物語はまさに「大河ロマ ン」と呼ぶにふさわしい骨太さ。 
世間一般的には「少年愛」という甘い切り口で語られることの多い作品であり、 
ジルベールの悪魔的な魅力や背景・調度の懲り様から「デカダン」「耽美」という煽り文句がつけられることもあるが、
そんな言葉だけでは括れない。「青春」 という人生のスタート地点に立った少年たちの生き方を通して
「人生とは?」「 人間とは?」「セックスとは?」「愛とは?」という、根源的な疑問と答えをえ ぐり出す、重量級の作品なのだ。 
なので、ラコンブラード学院は青春という季節をまるごと閉じこめ、少年たちの 運命と心の変遷を
読者に(いささか悪い言い方だが)観察させるためのフラスコ として存在する。同じように青春を盛るガラスの器として少女漫画に登場した学 園には
『摩利と新吾』の持堂院や『トーマの心臓』のシュロッターべッツ高等中 学が有名だが、竹宮惠子が用意したそれは彼女らのものほど優しくはない。
『フ ァラオの墓』がそうだったように、主人公たちはここでも過酷を強いられる。少 年同士が恋に落ちることへの閉鎖社会での白い目、迫害、暴力。
そうした様相も 、この作品は容赦なく描写する。 ジルベールをセックスによる支配で飼いならした叔父オーギュ(実は父親)との 関係には、
オーギュ自身もまた養子先の兄による性的虐待の犠牲者であったという設定から、
現代ではさほど珍しいものではなくなった「虐待の連鎖」というテ ーマを読みとることも可能だ。実にヘヴィで複雑な位相。
けれど、寺山修司のみ ならず、少女たちもこの容赦のない物語に熱狂したのだ。 それは、少年たちの恋物語という形を借りて、
彼女たちが知りたかったがはっき りと誰かに尋ねることはできなかったこと??人生や愛やセックスの真実??が 、表現されていたからに他ならない。
竹宮惠子は何よりもテーマを「伝える」と いうことを大事にする作家であり、連載開始時には「この作品が読者に受け入れられなかったら、
漫画家をやめる」と宣言していたというが、その熱意は報われ 、ジルベールは漫画という表現が生んだひとつのイコンになった。
やまだないとが以前、某雑誌の記事で「私の描くエロ漫画って結局ジルベール描 いてるだと思うんだ。なんか女子高生とか、
リアルな女の子って勝手に言われる けれども、絶対にありえないような、
自分のかわりに堕ちてってくれたり汚れたりする人を描いてるんであって、私はジルベールを描いておるな、と思うの」と 語っていたが、
同様な思いを抱いている人は少なくないと思う。「自分の代わりに堕ちてくれる存在」としての少年、を読者が見いだしたという点でも、
本作の投げた波紋は広く、深かったのだ。 
そして、後にはこれが呼び水となって「JUNE」が創刊(大JUNEの表紙はずっと竹 宮惠子が描いていた)、それが布石となって、
現在のBL業界へと続いているのだ から、第一波の衝撃たるやはかり知れなかっただろう。
それを思えば??いささ か乱暴な括りかもしれないが??今、書き手読み手、その頻度や立場に限らず、
これらの業界に関わっている人々は皆「風木」の、ひいては竹宮惠子の血族なのである。
この作品が描いたことが、こういう形の流れをつくっていったというこ とが、良いか悪いかはわからない。
けれど、それでも、現在こうした状況を甘受できるのは、「少年同士の恋」という物語をもって
漫画というメディアに斬りこ んでいった竹宮惠子(とその仲間といえる人々)の、
信念と勇気と闘志と努力( 詳しくは第10巻の増山のりえ氏による解説をどうぞ)がなければ有り得なかったか、
あるいはもっと遅い実現になっていたかもしれないのだ。 けれど、上記のようなセンセーショナルな表現である半面、
本作はいたって健全 な「教養小説」ならぬ「教養漫画」なのである。つまり、悲劇的な出来事や残酷 さを通して、
少年の魂がどう成長したか、がくっきりと描き出されているという 点で。 個人的な話になるが、連載当時、私はセルジュびいきだった。
もともと竹宮惠子 の描く少年像が好きで、常に背筋をスッと伸ばし、何があってもうなだれて歩いたりはせず、
必ず前を見つめているような姿が、魅力的だと思っていた。そんなわけで直情径行ぶりも含め、若木のように真っ直ぐに伸び、
成長していくセルジュがとても好きだった。なので、あのラストも、私としては悲劇的な死を悼むより、
この少年の成長を見届けられたという満足感があり、すんなりと納得できた ことを覚えている。

彼がオーギュと対決する場面で言うセリフがある。
「神をおそれぬ教育を施されようと、人間は成長するんです!」
激しいシーンの多い本作のなかでは、読み流 してしまいそうになるさり気ない言葉ではあるが、
実はこのセリフにこそ、この 作品の本質があるような気がして仕方がない。 
誰をどのように愛するのであれ??ひいては己がどんな道を歩むのであれ、
自分の信念に忠実であれ。そして信念を貫けるよう、人として強くあれ。
竹宮惠子の 作品はそのことを何度も形を変えて訴えているし、そう思えば本作はセルジュと いう伸びざかりの木が、
ジルベールという風に出会って翻弄され、さまざまな運 命の荒波を受け止めてどう成長するか、を描いた物語であり、
その密度の濃さ( 連載が終了するまでには8年の歳月を要したが、実際の物語はセルジュが13歳で 
ラコンブラードに転入してから16歳になるまでの3年弱のことであり、セルジュ にしろジルベールにしろ、
その間の身体的成長??骨格の変化など??までしっ かり描かれている)といい、世に出た経緯といい、
同時に作者の漫画家としての 信念の結晶なのだろう。 この二人の少年の成長に立ち会った時間、
それは日本の“少女マンガ”という表 現が、真にその青春を謳歌した時だったのだ。
竹宮惠子という「革新と反抗の精 神」(by寺山修司)によってもたらされた、既成のものとは異なる道と自由。
その衝撃は、完結から長い歳月を経た今も、読者であった私たちの血となり肉となり、さまざまに形を変えながらも受け継がれている。
その意味で、この作品の魂 は、現在もなお不滅だ。 補足になるが、本作には当初、続編の描かれる予定もあった。
が、結局実現はせ ず、後年になって、当時竹宮惠子のマネージャー的立場にあった増山のりえが
“のりす・はーぜ”というPNで『神の子羊』という小説を発表、バトゥール子爵家の子孫が音楽家としてのセルジュの消息を追う、
という設定でその後のセルジュ 達の物語を描いている。
また、作品のその後の話がどうなるかについては、
竹宮 惠子自身が中島梓著『美少年学入門』に収録の対談で語っているので、興味おあ りの方はどうぞ。


『天馬の血族』竹宮惠子(角川書店・完全版全8巻)
広大な草原を治める騎馬民族の国・チグル汗(ハン)国。
自然とともに生き、自 由な暮らしを謳歌するその地に暮らす少女アルトジンは、
並はずれた「気」の使 い手だった。自身がこの世界の支配者として都に君臨する血族の“失われた牡丹 ”とも知らぬ彼女は、
皇子オルスボルトが対立する父ビルゲ大汗(ハーン)を倒 し、
チンギス大汗を名乗って進軍を開始すると共に、激しい運命の渦に巻き込まれていく。
“草原”と“都”という対極の地を舞台に、天馬の血を引く少女と、彼女が愛す るオルスボルトの戦いを、
神話的な設定と壮大なスケールで描いた“戦記SFファ ンタジー”ともいうべき作品。
血族に絡む巴紋や人魚族、精気を吸わなければグロテスクな怪物に変容する帝、
さまざまな風俗・背景を持つ各国人など、多彩で 奥深いキャラクター、
イマジネーション豊かでダイナミズムに溢れた戦闘・幻想 シーンの数々に加え、チグルの侵攻と帝の支配のはざまで、
プライドと国益を賭 けて動く大小あらゆる国々の思惑など、複雑かつ幅広い要素を持って展開するストーリーは、
主人公二人そのままに、気高く雄々しく突き進み、一気読みものの 面白さ。
作者自身がインタビューで「もう長い話しを描くのは最後だなっていう 意識」を持って臨んだだけあって『地球〈テラ〉へ…』『イズァローン伝説』他 、
これまでの作品の要素が凝縮されており、その点でも読みごたえは充分。
完全版にして一巻につき500ページ以上のボリュームが全く気にならない。 
物語の基本にあるのは主人公アルトジンとオルスボルトの男女の恋愛だが、それを取り巻く人間模様はひとつの色には括れず、
男同士で結婚する軍事大国の存在 や、またこの世界の支配者であるべき帝は両性具有であるなど、
複雑な位相を備 えている。また、オルスボルトと彼の寝首をかくことを狙う弟イスマイル、巴紋 総帥・修多羅と、
対立する立場にある双子の弟ユルクといった兄弟たちの愛憎入 り混じる関係が、過酷ながら何とも色っぽい。
加えて、帝が呪によって支配する イスマイルと修多羅の精を吸うシーンが頻繁に登場するが、
これもおそろしく残酷でグロテスクな描写ながら、力をもって他者(それも美しく若々しい男)の肉体と精神を支配する快感と、
支配される側の苦痛をあまさず描きだし、非常にエロチックだ。 モンゴル、草原、戦う少女、兄弟の絆、あやかしの者たち??
どれでも気になる 要素がひとつでもあれば、ぜひ手にとってほしい。物語を追う、絵に見蕩れる、
その両方の楽しみにどっぷりとひたれる作品なのは間違いがないので。 しかし『地球へ…』等といいこの作品といい、
竹宮惠子という人の魂には既存の 機構(システム)に対する不信感というか、
作られた歯車に乗り続けることへの疑念が常にあるのだな、と思える。
極端にいえば「30歳以上は信じるな」的ロッ クな感覚というか。
余談になるが巻末のロングインタビューを併せて読みながら
そのへんのことを考えると(特に、一度デビューが決まりかけたにも関わらず、 一年間マンガを休んで学生運動に熱中していた話とか)
いろいろ興味深いことが 見えてきて面白いです。



サンルームにて/竹宮恵子
初期作品集なので絵はまだ拙いですが、
後に「風と木の詩」を発表する作者の、「あたしは何がなんでもこのジャンル(少年愛)を描くんだ!」という気合いと
試行錯誤が感じられる作品集。個人的には「スター!」がお気に入りです。
(作品として一番完成度が高いのは「ミスターの小鳥」でしょうが)


「扉はひらくいくたびも」竹宮惠子(中公文庫コミック版『竹宮惠子SF短編集?@告白』収録)
生まれつき心臓が弱く、病院で育った少年マモルは、初めて帰った自宅の庭に、バイオリンを持った少年の彫像を見つける。
像のモデルは征樹といい、彼を愛す
る友人の少年・夏希が作ったものだった。
二人はマモルが居るのとは違う「もうひとつの世界」に生きていたが、像を通してそちらの世界へ行くことができると知ったマモルは、
征樹と夏希の間に介入し
はじめる。
それは次第に、死を賭けたゲームに変わっていくのだが……。

少年たちの揺れ動く心、張りつめた愛情、孤独な少年の見る原風景など、
作者が
描くところの「ガラスの少年」(談:永井豪)の要素がふんだんにこめられた一作


『変奏曲』竹宮惠子/原作・増山のりえ(中央公論社)
当時、竹宮惠子のマネージャーで現在は作家の増山のりえが、長年温めていた物語を、竹宮が漫画にする形で世に送りだした作品。
舞台はウィーン郊外にあるとされる架空の街・ヴィレンツ。
この街とここに存在するヴィレンツ音楽院を舞台に、対照的な個性をもつ二人の音楽家の青年が出会い、
青春を過ごし、友情を育んで芸術家として成長する姿を、中・短編の連作として描いたシリーズ。
基本的に、ひとつの流れの定まっている物語を、作品により主人公と視点を変えて描くという手法を取っており、
何度も繰り返される「時間のモンタージュ」に新たな発見、視野があり、そのつど表現される各登場人物の心理描写がスリリングだ。
主人公の二人――幼くして楽才を発揮しながら、重い心臓病ゆえに完全に管理された体制のもとで才能を育て、
ヴィレンツ交響楽団の首席指揮者になりながら夭折の天才となるウォルフと、彼に憧れ、ヴィレンツ音楽院に留学し、
反撥と放浪の末友情を結ぶに至るエドナンの関係もさることながら、二人のよき理解者であり、
音楽家としてのエドナンの育ての親である批評家ホルバート・メチェックとの関係は、擬似親子関係でもあり、
同時に愛人関係でもある複雑さが魅力。物語はこの二人の生涯(エドナンに関しては半生)を追うだけに留まらず、
それぞれの息子、二ーノとアレンの青春にも広がりを見せたが、残念ながらもう続きが描かれる気配はなさそうである。
番外編のような形で描かれた短編「椿〈カメリア〉館の三悪人」と「ランボーとヴェルレーヌのように」では、
ボブとエドナンの関係に主にスポットが当てられるが、ここに登場する台詞
「ぼくらがめざすつもりの性も年齢も貧富も力もこえた愛みたいなもの…」
というのは、原作者・増山のりえの思想なのだろう。



「新橋の5分間」竹宮惠子(白泉社文庫『姫くずし』収録)
1979年の旧JUNE8月号に掲載された、“姫クン”シリーズ2作目。
JR山の手線の中で出会った青年と、主人公の“姫”こと姫川基とのちょっと危ない触れ合い(?)の模様を描いた短編。
21Pの短編なので、ストーリーはほとんど二人が会って別れる(のち再会)までのシンプルなものだが、
ちょっとしたディテールや少年の肉体、動作の描写などがエロチックで、
実際には二人の間には何事もなく終わるのに(ホテルへは行くが)そこはかとなく色っぽい印象が残る。
シリーズ自体は、財界の大物の庶子で、青山に一人暮らしする主人公・姫川基をめぐって起きる事件と、
彼に関わる人々の人間模様を描いたもので、1977年にビッグコミックオリジナル増刊号に1作目の「姫くずし」が掲載されて以来、
11年間に及ぶ息の長い読みきりシリーズとして続いた。
肉親や家族というものに無縁に育った姫の複雑な性格や、その彼の見せる破天荒な行動が魅力で、
キャラクターの格好良さは数いる竹宮作品の少年たちの中でも特筆すべきものがある。
少年の成長譚、冒険譚としても単純に楽しめるし、ファッション等の80年代風俗描写を除けばそのキャラクター性は今も充分に通用するはず。
ちなみに姫自身はヘテロで、「姫くずし」で早々に年上の女性と初体験してしまうが、親友の吉田君にキスしてからかったり、
言いよるゲイ男性がいたりと、細かいネタには事欠かない。
また、この文庫版では、西炯子氏による解説が読めるが、伊達に師匠と呼んではいない納得の文章は必読。
とりわけ、竹宮作品に登場する少年たちの眼、この作者の絵でしかありえないような眼について書いたくだりが納得で、
「人を誘う、でも人を拒む、人を恋う、でも人を嫌う、見ていると息の詰まる眼です。」
と書かれている。
天与の魂の煌めきをその眼に輝かせる少年たち、
その中でも最も魅力的な一人が、本シリーズの主人公・姫川基なのは言うまでもない。



『イズァローン伝説』竹宮惠子(中公文庫コミック版/全8巻)
樹海に囲まれた王国イズァローン。列強の国々に国境を接し、戦いの絶えないこの国には、二人の王子がいた。
国王の亡き兄の息子ルキシュと、現王の子ティオ
キア。だがティオキアは両性体(プロトタイプ)であり、
成長しても男性化しな
かったために、臣下たちはどちらの王子を次の王に擁立するかで争っていた。
はティオキアを隣国イシュカへ人質として送り、ティオキアはそこで導師より、
かつて強大な力を持ち、栄えながら、あえなく崩壊した古代イズァローン国の存在を知らされる。
実はティオキアこそ、古代イズァローンの血を引く者だったの
だが、それらの秘密を知ることは、人と魔の悠久の戦いの渦中に、
彼自身が巻き
こまれていく過酷な旅の始まりだった。「ファンタジーは大の苦手」と公言する作者が、
周囲の説得で着手したというフ
ァンタジー長編。一見、RPGふうの設定、古典的な貴種流離譚でありながら、
そこここで物語を思いがけない方向(主に、読者の想像しうる限りの悪い方)へ
動かし、人とその心に巣くう魔との葛藤、
愛と使命の対立、国を治めるとはどう
いうことか、真の自己犠牲とは何か、というテーマが複雑に絡みあいつつ表現され、
奥深く広がりながら、逃れようのないクライマックスの崩壊と大団円に向か
ってよどみなく進んでいくのはさすが。
作者がその抜群の構成力を発揮した、ス
トーリーテラーとしての魅力を堪能できる作品であり、
同時に、運命が与えた過
酷さを乗り越えていく少年たちの成長物語である点で、まぎれもない竹宮惠子の世界を堪能できる一本だ。
魔王をその身に巣食わせながら、人間としての自分と魔の力との間で葛藤するティオキア、国王の座に着き、政という重圧に苦しむルキシュ、
物語の中心となる
二人の王子はじめ、登場人物は誰もが自分の信念を持って行動し魅力的だが、
載当時は、ティオキアの従者で彼を密かに愛するカウス・レーゼンの人気が高かった。
彼の「『私』を捨てた情は何者をも超える」という信念は、ルキシュを支
える王妃フレイアの、ひとりの女性としての人生を捨て、
国のため・使命のため
に生きる姿と呼応し、後半の大きなテーマとなっている。


『平安情瑠璃物語』竹宮惠子(中公文庫コミック版)
作者曰く「『吾妻鏡』を描いたときに、
その行間から思いついた物語」であり「浄瑠璃はまだこの時代にはないものですが『情』の字に変えてタイトルとしました。
四編のそれぞれには平安時代の色の名前をつけてあります」という作品。
源氏と平氏が争いを続けていた平安末期の世を舞台に、源氏の血を引く少年とその従者がたどる数奇な運命を描いた連作集。
志田先生義廣の落とし種でありながら、実子と認められず、山奥にあずけられ育った槐丸。
左中太は主人の供で12歳の彼に会い「目も眩むような誇り高さ」に圧倒される。
やがて、元服し志田十六郎廣信と名乗った槐丸は戦乱に身を投じ、左中太もそれに従者として加わるが、
すぐに軍は敗走し、落人となったふたりの前にさまざまな艱難辛苦が訪れる。
生来の誇り高さと「源氏の子」であることを証明したいという強い意志を持ちながら、落人として隠れ住み、
野盗により襲撃され強姦される廣信。その彼を見つめ続ける左中太との間に、やがて歪んだ肉欲が生まれるが、
その献身も救いとはならず、やがて廣信は短い生涯を終える。かつて永井豪は、竹宮惠子の中には「ガラスの少年」がいる、と評していたが、
本作はその「ガラスの少年」が無残に打ち砕かれる過程を描いて、残酷さと表裏一体の深いエロスを感じさせる作品。
追いつめられ、己のプライドを両刃の剣として傷つき、やがて狂気の淵をすべり落ちていく主人公と、
彼に仕えんがため、そうと知りつつ破滅への道を行き急ぐ左中太の関係は、物語がこの二人の旅路にしぼられるだけに、
よりいっそう描写が研ぎ澄まされ、これまでの“少年”を描いた竹宮作品の数々を結晶化したような感もある。
長編のような華やかさや救いはないが、描き出される少年の像のひとつひとつが、
研磨された輝石のようなきらめきを放ち、
常にひとコマひとコマにドラマを感じさせる(何というか“動き”があるのだ。どんな人物のどんな姿にも)
作者の絵の魅力が冴え渡る一遍。

 
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