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shinobu様ご推薦 萩尾望都

【萩尾望都】


11月のギムナジウム/萩尾望都
こちらも初期作品集です。
かの名作「トーマの心臓」の前哨戦である表題作は言わずもがな、少年が少年に恋する「雪の子」をはじめ、
どれも短編として優れものの作品を集めた、まさに珠玉の作品集。
余談ですがこの中の「ビアンカ」が私の読んだ初萩尾作品です。一読でファンになりました。



「トーマの心臓』萩尾望都(小学館文庫)
冬の朝、一人の少年が陸橋から身を投げて死んだ。
少年の名はトーマ・ヴェルナー、シュロッターべッツ高等中学(ギムナジウム)のアイドル的存在だった。
休暇明けの学校内が悲しみに包まれる中、優等生ユリスモールのもとに、トーマから出された手紙が届く。
「ユリスモールへ さいごに/これがぼくの愛/これがぼくの心臓の音/君にはわかっているはず」
と書かれたそれは、トーマの遺書だった。間もなくシュロッターべッツ高等中学にやってきた一人の転校生。
彼エーリクは、トーマにうりふたつの少年だった。
ある事件により心を閉ざした優等生ユリスモールの存在を中心に、彼の自己回復と、
彼をとりまく少年たちの真摯な思いを描いた、言わずと知れた萩尾望都初期の大傑作。
この作品と『ポーの一族』(特に「小鳥の巣」)の印象で、竹宮惠子ともども「少年愛」の先駆者として語られがちな70年代の萩尾望都だが、
本作の最大の功績は「少年期の透明な愛情」を表現しただけでなく「宗教」について描いたことだろう。
トーマの自己犠牲、オスカーの過去、エーリクの献身、ユリスモールの魂の回復など、
描かれる少年たちの行動、立ち居振舞いはひとつひとつがデリケートな美しさに溢れ、読む者の心の琴線を震わせる。
が、今読むと、ラスト近くのユリスモールの台詞
「神さまは/人がなんであろうといつも愛してくださっているということが/わかったんです」という言葉が、
のちに『残酷な神が支配する』でどう変化するかを考えると、興味深い。
関連作として、本作の元になったともいえる短編「11月のギムナジウム」(小学館文庫『11月のギムナジウム』収録)、
オスカーがシュロッターべッツに入学するまでを描いた「訪問者」(小学館文庫『訪問者』収録)がある。
いずれも読んで損のない秀作で、日本に生まれて萩尾望都の作品が読める至福に浸れる。



『ポーの一族』萩尾望都(小学館文庫/全3巻)
『トーマの心臓』『11人いる!』と並ぶ、70年代の代表作。
吸血鬼(バンパネラ
)の一族として、悠久の時を生きる少年エドガーと、彼に関わる人間たちの姿を描いた中・短編から成る連作として発表された。
本作についてはあまりに多くのことが語り継がれ、賞賛されつくされているので

今ここで話すことも何もないのだけれど、ひとつひとつの物語で描かれるエピ
ソードが、また別の物語に絡み、
精緻なタペストリーのように、謎の一族をめぐ
る年代記として編み上げられていくさまは、何度読んでもお見事。
吸血鬼という
、下手をすると唯美的になりがちな題材を取り上げながら、永遠の時を生きる一族に惹きつけられてやまない人間の想い、
彼らの人生の営みと対比して、その存
在を少年として凍結された主人公の哀しみを浮かびあがらせる構成の妙は、
幾度
となく再読に耐える魅力を放っている。
ポーの村を訪れた人物の日記を、その子
孫が何世代にもわたって受け継ぐというエピソード「グレンスミスの日記」など
大人の視点で読むからこそ号泣必至の作品も多い。
また、エドガーが長い旅の道連れに選ぶのが、
同年代の少年アランで、線が細く
不安定な彼との危うい関係も、本作に複雑な位相とエロティックな魅力を与えている。
ちなみに、アランの登場するエピソードは「ポーの一族」「小鳥の巣」「
ペニー・レイン」「ピカデリー7時」
「はるかな国の花や小鳥」「一週間」「ラ
ンプトンは語る」「リデル・森の中」「エディス」(「ホームズの帽子」はラストシーンのみ登場)など。


「温室」萩尾望都/原作・イケダイクミ(小学館文庫『半神』収録)
父母の再婚により、兄弟になったジョゼファーツとランジュ。
ランジュはプラチ
ナブロンドの美しい少年で、全校生徒の憧れの的だった。ジョゼは新しい弟とすぐに打ち解け、
ひと夏を田舎の家で過ごすうち、二人の間には兄弟以上の感情も
通いはじめる。
だが、一軒の古い温室を見つけた日から、ランジュの態度が変わ
りはじめる。ランジュは、
無人のはずの温室にいる「何か」に魅入られたのだっ
た……。
線の細い、儚さを強調するかのような絵で紡がれる、
当時の萩尾作品の
中でも耽美・幻想色強いゴシック・ホラー調の小品。


『メッシュ』萩尾望都(白泉社文庫/全3巻) 
前髪に白銀色が混じっていることから「メッシュ」と呼ばれる少年の放浪と成長を描き、絶望、憎悪といったネガティブな感情、
もしくはトラウマから人はどう やって解放されていくのか、を追った、80年代の代表作。
主人公メッシュは、男の子として生まれながら、精神を病んだ母親にそのことを 認識されず、
フランソワ?ズという女名前をつけられており、そのことから他の 男たちに女のように扱われたり、
女装したりすることを受けいれている様子があ る。いわば精神的な両性具有ともいうべき存在で、
そのため彼自身はヘテロ(恋 愛対象はつねに女性)だが、シリーズ全体にどこかホモエロティックな雰囲気が
忍ばせられているような雰囲気がある。 とりわけ「メッシュ」「モンマルトル」でのドル?との関係、
「ブラン」で彼を 屋敷に招き入れる資産家が仕掛けるアバンチュール、
「謝肉祭」「シュールな愛 のリアルな死」などのエピソードにそうした色が濃い。
70年代の作品群と違い、ドラマチックな要素のなかに混じってユーモアのセンス が前面に出され、
中短編の連作という形で、ひとりの少年の魂の変化が、細くか らんだ絹糸をほどくような繊細さで綴られていくので、
一見「わかりにくい」印 象を受けるかもしれない。が、メッシュの旅路を共にたどるうち、読者もまた、
自分の心がさまざまなかたちで癒されていくのを感じることになるはず。 
なお、萩尾作品にはこうした両性具有的、もしくははっきりと両性体の人物がし ばしば(特にSF)登場する。
そうした設定は主に人類の進化・生殖というテー マを表現するために用いられるが、
単に肉体的なものだけでなく、最終的な性的 役割はその人物の意志によって決まるもの、として表現されているあたりが、
萩 尾作品の特色だろう。 主なものを下記にピックアップしたので、興味ある方はご一読を。
なお、少しパ ターンは違うがお互いに「男モード」「女モード」を交換し共有する、
『バルバ ラ異界』(小学館フラワーコミックス/全4巻)のマヒルとマシロの双子の兄弟も 、一種の両性具有かもしれない。

「11人いる!」(小学館文庫『11人いる!』収録)

「続・11人いる! 東の地平 西の永遠」(小学館文庫『11人いる!』収録)

「ダダとフロルのスペースストリート」(小学館文庫『11人いる!』収録) 

『スター・レッド』(小学館文庫)

「酔夢」(小学館文庫『半神』収録)

『銀の三角』(白泉社文庫) 

「X+Y」(小学館文庫『A-A'』収録)

「あぶないアズにいちゃん」(小学館文庫『あぶない丘の家』収録) 
また「メッシュ」シリーズではないが、本文庫の2巻に収録された短編「船」も 、
少年大量殺害犯?と疑われる男と、家出少年との交流を描いた、晩秋の海や全 体を覆う寒色のトーンが印象的な作品。
こちらもぜひ併せてお楽しみを。 



「エッグ・スタンド」萩尾望都(小学館文庫『訪問者』収録) 

「孵化しなかったタマゴが/まちがえてゆでられて食卓に出される/
死んだヒヨコ は黒い/あれはぼく/あれは世界/なにもかも壊さなきゃ/はやく目を覚まさなきゃ/ 死んでしまうまえに」


第二次世界大戦下、ナチス・ドイツ軍によって占領されたパリ。
ユダヤ人である ことを隠して、キャバレーの踊り子として暮らすルイズは、公園で出会った少 年ラウルと、姉弟のように暮らしはじめる。
やがて、レジスタンスとして活動す るマルシャンがその生活に加わり、
戦火の下での生活にほのかな希望が生まれはじめたように見えたが、ラウルの周辺で増えてゆく死体の数に、
やがてマルシャ ンは疑いの目を向けはじめ……。
「みんな戦争に愛されてるみたいだ」と嘯きながら、関わる人間を次々殺していくラウル。
近付いてくる男たちと、ためらいもなく関係を持ち、何の迷いもなく 彼らを殺していく彼の姿に、
戦争の狂気、不条理、無常感、愚かしさなどのすべ てが二重写しになっていくが
「ぼくは多分なにか忘れてきたんだね」と言う彼の 、
感情の起伏というものをほとんど見せないさまには、同時に、現代の少年犯罪 者たちの様相もほの見える。 
物語はすべて冬景色のなかで進み、萩尾作品にしては珍しく救いのないまま終わるが、
当時のパリ風俗などを表現する緻密な描写、雪を効果的に使った演出、構 図など、魅力的な場面が多く、完成度は高い。

「ばらの花びん」萩尾望都(小学館文庫『ゴールデンライラック』収録)
「わたしの家には/祖母の代から伝わる/それは美しい/花びんがありました」
「ば らの庭で/ばらを手に持つ/若者の絵があり/その若者の顔は/わたしの/自慢の弟に うりふたつ」
「若者は ものうげな/やさしい瞳をしています/わたしの弟と/同じ ように」

19世紀末のパリを舞台に「ばらの花びんに描かれた絵」のように美しい青年ミシェル、
彼の年上の友人マルス、姉のセザンヌ、未亡人ファデットの恋の輪舞を描いた作品。
一種の艶笑譚だが、細部に到るまで描きこまれた調度や衣装(時代背景がしっかりわかる)、
テンポのいい語り口に乗せられて、あとにはルビッチの 映画でも見たような豊かな味わいが残る。 
とりわけ、セザンヌに求婚しながらミシェルと一夜を共にしてしまうマルスの、 
ダンディぶりが崩れる後半が笑えるが、彼が物語の端々で口にする気障な恋語りのとおりに、自分自身足をすくわれてしまう仕掛けが粋だ。

「きみは美しい瞳」萩尾望都(小学館文庫『A-A'』収録)
領土を継ぎ、間もなく結婚することが決まっているいとこハプトの元を訪れた僧メールデールは、
夢で心の深層を見せるという「夢鳥」をハプトから譲りうける 。
鳥がハプトに見せた夢は、光のなかで眠るメールデールに接吻をくりかえす夢だった。 
メールデールは鳥を、辺境の星にある故郷の森に送り届けようとするが、鳥の力 は彼に恐ろしく不吉な夢を見せてしまう。
夢と現実の混乱のなかで、鳥を手にか けてしまうメールデール。
自分の夢におびえ、行為を悔やんで耳を切り落とした 彼のもとを、ハプトが訪れるが……。
40Pの短編ながら、光と影のように似通った部分をもつ青年たちの関係を通して 、
夢と深層意識、贖罪、人に人の魂を救えるか、などのテーマが語られ、ロマン ティックなSF作品ながら、読後の印象は残酷で深い。

『マージナル』萩尾望都(小学館文庫/全3巻)
砂漠に建つドーム都市に唯一のマザが存在し、人は皆マザの息子である、男のみのミツバチ型社会。
その世界に暮らす人々には知らされていなかったが、それこ
そ2999年の地球の姿だった。
度重なる汚染により、不妊の星となった地球は、他
星に移住した人類により、
ふたたび生殖の可能な場となるかの巨大な実験場とさ
れていたのだ。
しかし、不妊をひきおこすD因子に対するワクチンは遺伝子に傷
を残すため、人工的に生み出される子供はすべて男性にしかならなかった。
そんなドーム都市のひとつモノドールで、唯一絶対のはずのマザが暗殺される。
はたしてマザは新しい肉体をもってよみがえるのか、それとも、このマージナル
(不毛)の地はこのまま滅びへ向かうのか? 
豊富なディテールと説明で描かれ
る、念者と色子の関係によるマージナルの社会制度、遺伝子、生殖、母とは何か
という問題が、スケール大きく絡みあう80年代萩尾SFの最高峰。
全編これ
複線という緊迫感、広げに広げた大風呂敷をクライマックスで鮮やかに畳んでしまう手腕もさすがだが、
マザ暗殺に加わったグリンジャ、彼が砂漠で拾う謎の少
年キラ、キラの念者となるアシジン、マザの謎に深く関わっていく市長の息子ミカル、
すべての計画を影で動かす長官メイヤードなど、登場する美青年・美少年
はいずれも個性的で魅力豊か。
彼らの愛と思惑と祈りが渾然一体となり、地球の
未来を希求するラストは静謐な美しさで余韻が残るが、
ストーリー中で語られる
2300年の地球汚染の模様は、現代の温暖化が進む地球の未来そのもの、という気がしてうすら寒い思いもする。
しのごの言うよりも、ともかく読んで緻密な展開と世界観、生命と性の神秘を揺
らぎない視点でとらえた壮大なスケールに浸ってほしい。


『残酷な神が支配する』萩尾望都(小学館文庫/全10巻)
1992年に「プチフラワー」誌にて連載が開始され、その後9年を経て完結、作者の最長編となった作品。
勿論、90年代萩尾望都の代表作であり、手塚治虫文化賞の「マンガ優秀賞」を受賞している。
ボストンで平凡な生活を送っていた15歳のジェルミは、母サンドラと英国人の資産家・グレッグの再婚を、心から祝福するつもりでいた。
だが、サンドラにとって理想の紳士のはずのグレッグは、やがてそのサディスティックな本性をむき出しにし、ジェルミを強姦する。
そのことをひた隠しにし、サンドラの幸福を壊すまいとするジェルミだが、彼の感情を逆手にとって、グレッグは彼に関係を強要し続ける。
ついに耐えきれなくなったジェルミは、自動車事故に見せかけてグレッグを殺そうとするが、細工した車にはサンドラも乗りあわせていた。
自分の手で、憎んでいた男のみならず、母サンドラまで殺してしまったことで、深い罪悪感に責められるジェルミ。
そんな彼の様子から、義兄イアンは彼の犯罪に気付き、彼に告白を迫っていく。
タイトルは、イエーツの詩から取られたものだが「残酷な神」とは何者か、ということも、この長大な心理劇の大きなテーマになっている。
それは「愛」でも「運命」でもなく、実は……というのが、
作者がラストに出した結論だが、大元のテーマは、かつての『トーマの心臓』の変調であり、連載当初「サイコ・サスペンス」と銘打たれていた物語の本筋は、
人間はいかにして自分の犯した罰や、背負った傷と向きあうのか、
また、暴力によって殺された魂をどのように再生させていくのか、という過程を、すべて漫画表現の限界まで描きつくそうという試みだった。
実際、グレッグがジェルミを暴力で犯す多くのシーンをはじめ、さまざまな実験すら行われる絵の表現力は、
緊迫感、恐怖感とも並々ならず、敏感な時期の子供が読んだらトラウマになりそうな迫力を備えている。
だが『トーマ~』の時代には、神が少年の傷ついた心の受け皿になることもできたが、
ここではもはや「神」そのものが少年たちの敵であり、自身がそれへの生け贄にならないために、闘わなければならない相手なのだ。
『トーマ~』の最も感動的な場面のひとつに、幼い日のトーマが父親に
「なぜ神さまは、ひとりでは生きていけないほどさびしいものに人間をおつくりになったのか」
という意味のことを尋ね、それに父親が答える、というくだりがある。

「それは人間が永遠(とわ)であるしるしだよ/―宇宙はめぐる/この花も実を落とす/
ごらん!永遠なるものを そこに神は住まいたもう/わたしたちもいつかは同化し一体となり/いつかはあの高みへと飛ぶだろう」


とトーマの父が語った神は、しかし、もうこの世界には存在しないのだ。
そのために、物語の進行はいっそう複雑になり、
しだいに『トーマ~』否定の色もおびてくるので(作者自身も本作について「ユリスモールが神学校に行かなかった場合の物語」であり
「『トーマ~』の最後でユリスモールを神学校に行かせたのは逃げだった」とインタビューで語っている)
結果的に9年という歳月がこの「残酷な神」のために、供物として捧げられたのだろう。
物語の後半はほとんどジェルミとイアンの対峙するシーンに費やされ、二人は何度も争い、憎悪し、逃げては追われ、
ベッドを共にし、その繰り返しのなかで、互いに唯一の真実を知る相手として“愛”を見いだしていく。
あるカウンセラーの言葉によると
「カウンセリングとは対話でしかない。私たちにできることは、患者と対話し、その人が自分自身の傷口に向きあう手助けをするだけであって、
その後、その傷をその患者がどうするかは、本人に委ねるしかない」だそうだが、
後半のイアンとジェルミの対話シーンはまさに「カウンセリングの絵による視覚化」だといえるだろう。
あと、本作において特筆すべきは、萩尾作品において初めて真正面からセックスが描かれた、ということだろう。こ
れまでの作品にもベッドシーンはあったが、主に(特にSFの場合)そこに描かれるのは“生殖としてのセックス”であり、
そうでない場合も人間関係にとっての“過程”でしかなかった。
今回も、ジェルミの殺された魂がよみがえるまでの“過程”ではあるのだが、同時に、純粋な肌と肌のふれあいとしてのセックス、
というものを描いており、狂気の支配者としてのグレッグが強要する「暴力としてのセックス」と、
ジェルミとイアンが闇のなかで道を見つけようと足掻くかのように行うセックス、
が時には対照的なもの、時には表裏一体のものとして表現されている。
愛の行為でありながら、人間の理性を押しのけて、時に暴走する武器にもなり得るセックスというものを取り上げたという意味で、
本作は萩尾望都にとっての『風と木の詩』といえるのかもしれないし、
また『トーマ~』以上にはっきりと、ジェルミとイアンという二人の「愛」について描かれた作品、ということもできるだろう。
最後にもうひとつつけ加えるなら、確かに本作は読むのに気力・体力・思考力を要求されるという面はあるのだけれど、
主要な登場人物はほとんど美形で、主要な舞台となるリン・フォレストの領主の館(マナ・ハウス)は、
カーテンの一枚一枚から豪奢な調度品に至るまで丁寧に描かれ、背景となるイギリスの風景はあくまでも美しい。
これら“少女漫画”としてのツボはしっかりと押さえてあるあたりが、
エンターテインメントとして物語への敷居を低くしているので、散りばめられた華やかさをも楽しみつつ、
納得できるまでこの迷宮に迷いこんでみるのもひとつの手だろう。

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