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shinobu様ご推薦 赤江 瀑〈あかえ・ばく〉

1933年下関生まれ。1970年「ニジンスキーの手」で小説現代新人賞を受賞しデビュー。

1974年『オイディプスの刃』で角川小説賞、1984年『海峡』『八雲が殺した』で泉鏡花文学賞受賞。
能、歌舞伎、その他諸々の題材を鮮やかに紡いで織り成す"魔の存在感は圧倒的で、
絢爛たる文体、語り口で描かれる世界は"究美"と呼ぶに相応しい。
とりわけ作品中に登場する美しい男たちの存在感、文章から立ちのぼる色香は圧巻。

男女の愛を描いても、比重が男性に置かれていることが多いせいか、しばしばホモエロテイックな雰囲気が醸し出される。
今回こちらで紹介させて頂く作品は、単に肉体関係のある無しだけではなく、
そうしたエロティシズムが感じられる作品を選んでいるので、ご了承のほどを。


「八雲が殺した」(文春文庫『八雲が殺した』収録)
※ 小泉八雲が著した名高い怪談の一篇『茶わんのなか』。
村迫乙子は、この粉本と なった原話に対し、八雲とは違う解釈を抱いていた。
「原話にあって、八雲が抹 殺した二十四、五の文字」にこそ「この物語の恐怖の花」があるのだと。
すなわち、茶わんに姿を現した若衆が、それを飲みほした侍のもとへ姿を見せた折、言 い残した言葉「思ひよりてまゐりしものを、
いたはるまでこそなくとも、手を負 わせるはいかがぞや」。
だが、若く多感な年頃にそんなことを考えた乙子も50歳。夫に先立たれ、
一人息 子とも離れて、独りの生活を送っている。ある日、訪ねてきた息子との夕食の席で、
ワイン・グラスの中にひとりの男の姿が映りこんだ。その美しさに見蕩れながら、ワインを飲んだ乙子の夢に、
毎夜、訪問者が姿を見せるようになる。美し い男が見せる夢は、思いもかけぬ淫らさで乙子を翻弄し……。
作中にヒロインのものとして書かれた原話「茶店の水碗若年の面を現ず」の解釈 が面白い。
「思ひよりてまゐりしものを」と告げる若衆を、相手の侍への恋慕の 情で出現したものとし、
そこへ次第に乙子自身の夢と現実がダブっていく。訪れ る夢の描写は生々しい半面、
より深い夢の中へどこまでも落ちていくような幻想 感もあり、ワインの酔いにも似た酩酊感を味わえる。
昭和59年第12回泉鏡花文学 賞受賞作。

「破魔弓と黒帝」(文春文庫『八雲が殺した』収録)
売れっ子の劇作家・野間征太郎は、あるクラフト展で栄雄の作る七宝細工の美し さにひかれ、彼の手鏡を買い求める。
以降、劇の題材にすべく七宝の取材にあた るようになるが、その縁で訪れた京都の骨董商で、
松宮という古い七宝屋と、そ の店が絶えるきっかけになった、当時の主人・松宮東助の殺人事件についての話を聞き、
興味を抱く。 今も続く松宮の家を訪れた彼は、そこで栄雄と再会する。
栄雄は、東助の命を奪ったという一本の破魔弓を、その手元に置いていた。腕のいい職人であり経営者でありながら、
ひとりの若い職人とともに、妻の手で殺された東助。謎と共に、 征太郎に覆いかぶさってくる恋人・浜子の存在。
彼女との関係につきまとう影を 感じながら、征太郎が出した仮説とは……
。 東助の死の光景は、推測によって語られるものの、想像力を刺戟されエロチック 。
短い描写ながら、二人の男がもつれ合い眠る寝息が聞こえてくるような気がす る。

「春の鬣」(講談社『十二宮の夜』収録)
春の花ざかりどき、少年は、いつも絵を描くために訪れる公園で、一冊の雑誌を拾う。
可憐な少女が下半身を剥きだしにしたセクシャル・マガジン。
しかも、その淫らな誘いは一度きりでは終わらず、彼のまえにはその後幾度も同様の誘惑が姿を現す。
いつしか少年は、その誘惑を受け入れ、カラタチの藪影で、密かな痴態を見せるようになるが、それを観察する眼差しがあった。
若かりし頃の代表作『少年』に描いた肉体の春を、再び画布に再現することに苦 心する老画家と、
彼の計略によって、欲情に熟れ、溺れていく少年の姿の対比に 、いつしか浮かびあがる「老いの闇」が印象に残る。

「白骨の夏」(講談社『十二宮の夜』収録) 
「二人はやがて、攻守どころを替えて、またからみ合う。  
二ひきの若いけだものが無邪気にじゃれ合い、戯れ合っているような、
いたず らざかりの罪のない遊びの感じが、確かになくはなかったけれど、ときたまたて るふざけた声や、冗談ぽい剽げたしぐさが、
見ているうちにすこしづつなくなっ ていき、少年たちはしだいに本気で喘ぎ声を洩らしはじめているような気がしな くもないのだった。
右に左に頭を振り、身体をのばし、撓め、縮め、足を開き、閉じ、からめ、腰を浮かせ、
のけぞり、悶え……砂にまみれて、二人はもつれ合っていた。
元彦は、動くに動けず、その奇妙なもつれ合いを、息を殺して眺めているほかはなかった。」(本文より)


オオマツヨイグサの大群落のなかに建つ、海ぎわのコテージ風の建物で、元彦は 夏を過ごしていた。
「まじめで、勉強好きな学生」であることを見込まれて依頼 された、留守番のアルバイトだ。
「誰にも会わず、誰にも干渉されないで、誰にも関わりなく暮らせる。そんな時間が持てそうだった。」はずの夏は、
だが、二人の少年達が現れたことで姿を変えた。
はじめ、ただ仲の良い兄弟か友人に見えた彼らは、いつしか愛撫を交わしはじめる。
やがて知る性交のためのレッスンでしかなかったそれは、日を重ねるにつれて熱をおび、
元彦は行く先々で彼らのあられもない姿を目にするようになる。
それは、彼の押し隠してきた血の秘密を、彼自身に容赦なく思い出させる光景だっ た……。

「荊冠の耀き」(徳間文庫『荊冠の耀き』収録)
姫ヶ崎の浜辺に集う三人の若者、優介・国友・凛は、それぞれが若さの時間を謳 歌していた。
海に、夏に、太陽に、女に、夜にと歓をつくして戯れる彼ら。
だが 、国友が海底に、一挺の拳銃をみつけたときから、眩しい夏はしだいに翳りをおびはじめる。 
若さという特権を持ち、その肉体のおもむくままに生きると見せながら、どこか ストイックさすら感じさせる青年たちの夏を、
陽の翳りのようにふいにさしこむ 男色の誘惑を絡めて描く。
第三者のまなざしが注がれる三人の姿は、奔放で、みずみずしくありながらどこか儚げで、
ときに色情的なまでの若さの発散も、体ろ心の危うさを鎧うための虚勢ではなかったのか、という印象が残る。

「午睡の庭」(徳間文庫『荊冠の耀き』収録)
「じっさいに、若い体液に濡れそぼった篤典の雄茎は、はなばなしく、壮観だった。
明るく、くったくのない顔が、その明るさやくったくのなさをそのままとどめ たまま、血気をのぼらせ、
物狂おしい狂態に陥って行くさまには、天真爛漫な、 おおらかな眺めさえあった。
金木犀の花にまみれた雄茎には、どこか淫靡な秘儀でも盗み見るような疚しさがつきまとったが、
眼を据えて直視しても堂々と快楽を追い耽る篤典が捧げ持ち 、
駆使して見せる雄茎は、若い樹木の旺盛なすがすがしさにあふれていた。」( 本文より) 


金木犀の花咲く時期に、伊左武の家には足しげく友人の篤典がやってきた。
十六 歳にしては成長した体躯の持ちぬしである彼は、周囲の大人たちからも、
将来ま れに見る美丈夫になるだろうと囁かれるような少年だった。が、伊左武には、彼 の容姿に対する違和感が常にぬぐえない。
その首は、彼の肉体を拒否する首だと 、伊左武の目には見えたのだ。 
少年の、彼の親友を自称する相手の容姿へのひそかな執着と羨望を、錦鯉の形成 手術、
日本では「雄の樹」しか花開かない金木犀の芳醇な香りがまき散らす肉の 誘惑を通して描かれる。
全編から、金木犀の香りに混じって、鯉の流す血の匂い が漂ってくるかのよう。

「黒衣の渚」(徳間文庫『荊冠の耀き』収録)
法要を知らせる葉書に誘われて、功平は三十数年ぶりに西山陰の青津を訪れた。
大人になる前の数年間を過ごしたそこは、思い出深い地だったが、
旧友たちとの 再会のなかで、忘れきっていたはずのひとつの光景が、彼の脳裏によみがえる。 
それは、真夏の夜、海岸に打ち上げられていた、白粉塗りの旅役者の死体だった 。
初老の男がたぐる記憶の糸のうちに、少年期の青い性の姿が現れるが、その行為 の影にかくされた死の光景が、
いつしか主人公のよるべない現在に重なり、無常 感を醸しだす。
少年時代の主人公が、逞しい兄貴分の少年が女を抱くのを見て、 
女ではなく組み敷く少年の裸身に見蕩れるエピソードは、わずかな描写だが匂い たつような色気がある。

「世阿弥」(文藝春秋『オルフェの水鏡?赤江瀑エッセイ鈔』収録)
エッセイ集の中に収録されているが、エッセイというより世阿弥の生涯とその謎 について語る評伝といってもいい一本。
出生から晩年までを語っているが、結崎座が将軍足利義満の前で興行をうつ場面などは、小説仕立てになり、
鬼夜叉を義満が所望するくだり、またその後「藤若」と名を改めてからの寵愛ぶりなどが細やかに描かれる。
機会があれば一本の小説として仕上げてほしいと思うが、もう望めないだろうか。 
世阿弥については同書ではこのほか「ことばの花」「花伝書を捨てて」「漫な時 空」「世阿弥の屏風」などのエッセイで触れられており、
それ以外にも、安政の 大獄で追われた月照と、彼を助けた清水寺の寺侍との交流に、
男の契りについて の思いをはせる「舌切り茶屋の冬」、さくら林の中でもつれあう二人の若者の記憶が甦る「花の虐刃」、
坂崎直盛の軌跡を辿り、衆道による色恋沙汰にもふれる 「津和野城」などが収録されている。 
また、世阿弥と花伝書についてのエッセイは、別のエッセイ集『劇場国の森の眺 め』(文藝春秋)にも多く収められている。

「アルマンの奴隷」(文藝春秋『アルマンの奴隷』収録) 
「僕を、アルマンと呼んでください。」
“私”は、詩作品の読者だという人物から、そんな書き出しで始まる一通の手紙を受けとる。
手紙はそれきりではなく、 何通も彼の詩について熱に浮かされたような文章を綴ったものが届くのだが、
そ のすべてに、詩の中に、差し出し人が愛するアルマンという男が存在しているということ、
そして自分がどれほど彼を愛し、欲したかということが書かれていた 。
絢爛としたイメージをまき散らす詩句を中心に、虚と実が乱反射し、やがて真実の皮肉が浮かびあがる。
複雑な構成の作品だが、劇中詩として披露される作品はいずれも妖しく、エロチックで鮮烈なイメージを呼び起こして魅力的だ。

「彼のオリーブは食べきれないほどいつも 僕の無為な部分からもぎとってや る」
「兵隊が草むらの中へ入って行ったよ。カァキィのズボンの尻に無秩序な あれは支那香水でだって消せやしない」 
「その刺青の海は咽んでいる塩辛い眩しい無籍」 
「この夜のソオダ硝子のみずに棲むおまえ いっぴきの恋しるけもの よく煌く おまえだった」 
「せめてこの魔の道すがら  カジノこそ煌けば悲恋をうつす夜の数個の宝石だった  カジノこそいくつもの不肖で飾る唄うべき花御堂だった」
「嘗て檸檬の上で月が息んでいた閨 魚網のように濡れそぼれしハンモックの背 
 固きただ固く悦ばしき名もしらぬ果肉のような少年(おまえ)」 (すべて本文より)

「脂粉の御子の頸」(文藝春秋『アルマンの奴隷』収録) 
“ミコ”と呼ばれる美青年・高光。
その名のとおり光輝くような魅力を湛えた彼 の姿に、『古事記』にのめりこむひとりの青年が、
倭健の姿を見い出し、やがて そのイメージは高光自身をも呑みこんで、悲劇へともつれ込んでいく。
全編に亘って引用される『古事記』のイメージが跳梁する一篇。

「鸚鵡の年」(徳間書店『月迷宮』収録)
教鞭をとる山上吾郎のもとへ、ある日一通の手紙が届く。
差出人は、彼が勤める 学校の生徒であると記していた。書き手である少年は、
その手紙の中で自らを「 性的な人間」と呼び、セクスにまつわる体験について、書き綴っていた。
小学校二年のとき、彼の性経験は始まった。隣家の離れを借りた若い銀行員の男性。
彼が部屋に連れ込む女たち、または男たちとの歓技のかずかずを、その年の 夏から今日まで、
少年はつぶさに眺め、自分でも経験してきたと言う。そして、 それらの経験を経て自分の中に生まれ、変化していったすべての出来事……
それらを打ちあけながら、少年は「女がいなけりゃ、生きて行けやしないのに。」と 呟きながらも、
いま、自分のセクシャルな感性が、女ではなく男に傾いているこ とも告白していた……。

「夢違え詣で」(講談社『霧ホテル』収録)
林の奥深くのお堂に祀られた観音像。
それは「悪い夢を見たときに、手を合わせ てお祈りすると、良い夢に変えてくださる」という、夢違(ゆめたがえ)観音だった。
子供の頃から悪夢に苛まれ、憑かれたように林へわけ入り、観音像に手を合わせつづけた男を描く一篇。
ラストで明かされる彼の真実、そして、主人公の 名が融(トオル)であることなどから、
かつての「殺し蜜狂い蜜」に連なるとも いえる作品。 


「火」(朝日新聞社『恋物語』収録) 

女舞いの舞い手としてひとすじに生きる者の姿を、能の老女にたとえて語り、
その身の奥になお燃え盛る舞いへの、師への深い思いを綴る掌編。
タイトル通り「恋」をテーマにしたアンソロジーに収録されている。
「射干玉〈ぬばたま〉の」(徳間書店『日ぐらし御霊門』収録) 妻と娘に先立たれ、
山荘に一人暮らす「わたし」は、隣人の「壮年の雄の匂いを 発散させ」る男、鴻介が、写真に写しとられた薬師如来像を相手に演じる痴態を 覗き見ている。
いつしかそれが習慣になってしまった彼らだが、「三途川〈しようづか〉の婆」と呼ばれる老婆がふいに訪れるなど、
奇妙な出来事が起こりはじ め、やがて……。
どこまでが現実でどこからが幻想か、あるいはすべてがこの世の出来事ではないのか。
二人だけが暮らす山中での男同士のやりとり、薬師如来を間にしての関係性が、グロテスクでもありつつエロティックに綴られる一作。

「櫻瀧」(徳間書店『日ぐらし御霊門』収録)
花見客でにぎわう春の櫻林。
身ひとつで暮らす東蔵は、満開の花の中にいながら 、今はもう血が騒ぐのを感じなかった。
訪れた者たちの残飯をあさりながら、東蔵はかつての相棒・竹岡の声を聞く。
昔、竹岡が目にした東蔵の姿、それは櫻の 咲く季節、男たちとの乱倫に身を溶かすさまだった。

「心も、体も、溶けてくる。櫻が咲きはじめるとな。溶けて、とろとろ、崩れは じめる。とろとろになって、溶けてな、輪郭がなくなって、
……なくなりながら ……こう……沸いてくるんだ。沸騰してくるんだ。心が、おれの心じゃなくなる 。体が、おれのものじゃなくなる。しょうがないんだ」

と言いながら、櫻の花の ほころびと共に毎年性の深みへ沈む男と、
その彼に付き添い続けた男の物語は、 生々しいはずなのに、どこか櫻吹雪で覆われたような儚さが残る。

「歌のわかれ」(河出書房新社『凶鳥の黒影 中井英夫に捧げるオマージュ』収録)
一九七四年六月、パリ。薔薇と香水と葡萄酒の取材のため、この街を訪れたN氏 に、明原陶彦という青年が近付いてくる。
N氏が編集長を務めていた雑誌『短歌 』の投稿者だったという彼は、親しげにN氏にその思い出を語り続けるのだが……。
『虚無への供物』刊行40周年記念として編纂された、17人の作家による小説&エッセイ集の一篇。
そのため、中井英夫の人となりや作品を知らないと少しわかりづらい内容かもしれないが、薔薇園に眠る幽霊譚としても楽しめる掌編。
陶彦がN氏に語る、かつての自作だという歌の数々がエロチックなイメージをか きたて
(「四月 カレは信じきれないようにガムを噛む 最初の野合のように信 じきれない春ソノおびただしい彩色ボンボンの味な毒 
カトレアの花の柄に触れ てむしると濡れてくる四月ソノ手に熱い粗暴な茎」など)、
やがて、陶彦のN氏 =歌への執着が、N氏がボーヌの土産物屋で出会った黒人の若者の人形への執心に重なり、
浄化されていくさまが鮮やかで美しい余韻を残す。

 

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