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shinobu様ご推薦3

『絃(いと)の聖域』栗本薫(角川文庫/上・下巻)
人間国宝・長唄の安東流家元の屋敷内で、女弟子が殺害されるという事件が起きる。
二代に渡って妻妾同居を続ける邸内には、人間関係にまつわる火種が絶えることなく、誰もが誰かを殺しうる動機を持っていた。
複雑な愛憎関係が入り乱れるなか、続けて起こる殺人。もつれる謎を解く糸を引いたのは、一見うだつのあがらない一人の青年、伊集院大介だった。
栗本作品に多く登場する名探偵・伊集院大介が初登場する本格ミステリーであり、
第二回吉川英治新人文学賞の受賞もあって、名作の誉れ高い作品だが、良く出来たミステリーというだけではなく、
読後に人の世のはかなさ、人生の苦さとともにどこか清々しいものが残るのは、
安東流の秘蔵っ子である由起夫と、彼を愛し、守ろうとする「いとこ」(実際には由起夫の父の愛人の連れ子)智の、
初々しく、一途で激しい恋の姿が事件の合間に描写されるためだろう。
実際、このふたりの登場する場面は、陰惨な事件のさなかにもかかわらず、清涼な光を放っている。


『翼あるもの』栗本薫(文春文庫/上巻:生きながらブルースに葬られ・下巻:殺意)
いま最高の人気を誇るバンド「ザ・レックス」のボーカリスト、今西良、ことジョ二ー。
天性の美貌に加え、甘くセクシーな歌声をその翼として、飛翔を続ける彼は、バンドの仲間たちや、
作曲家・風間俊介の愛と崇拝を受け、光のただ中にあった。ジョ二ーを中心とした揺らぎのない王国は、
だが、良がTVドラマ「裏切りの街路」に出演し、その共演者である俳優の巽竜二に恋着されたことで、しだいに狂っていく――
「生きながらブルースに葬られ」。トミーこと森田透は、元「ザ・レックス」のサイド・ギターだったが、メンバーと対立して脱退後、
紆余曲折を重ね、いまは男娼としてその日暮らしを送っていた。失意の彼の心を占めるのは、
かつての仲間、というより、ライバルだったジョ二ーへの屈折した思いだけだった。
すさむ透を拾った俳優の巽竜二は、彼に惚れたといい、生活を共にする。しだいに心を開いていく透だったが、
巽が「裏切りの街路」でジョ二ーと共演すると知ったとき、透の心はまた絶望に蝕まれる。巽がジョ二ーを愛するだろうと予感する透は、
持ち込まれた再デビューの話とのあいだで身も心も引き裂かれていく「殺意」。光り輝く“ジョ二ー”という存在と、
その彼とかかわったことで人生を変えていく者たちの姿を描く連作。なお、作中に登場するドラマ「裏切りの街路」は、のちに作者が
、やはりTVドラマである「悪魔のようなあいつ」の思い出のために書いた、と語っているように、設定等共通するものがある。
また本作には、その後の良と透の人生を描き、二人の運命が時を経て、おなじ流れに乗る姿を描いた続編『朝日のあたる家』(角川ルビー文庫/全5巻)がある。
因みに、これらの作品におけるジョ二ー=今西良は、作者曰く『真夜中の天使』の主人公と同名異人でもあり、
そうでもないのだとか。「木原敏江のフィリップのようなスター・システム」を連想してほしい、とのこと。
 

『真夜中の天使』栗本薫(文春文庫・?T~?V巻完結)
ジョ二ー、の愛称で呼ばれる今西良は、その美貌とひとの関心を惹かずにおれない蠱惑的な魅力で、いまやトップ歌手の座に踊り出ていた。
その彼を見守るのは、持ち歌の作曲者であり、愛人でもある作曲家の結城修二。
だが、その影で、実際に良を発見し、この世界連れ出し、磨きをかけたのは、マネージャーの滝俊介だった。
芸能界で最も権勢を誇るプロダクションで、腕利きプロデューサーとしてその名を知られた滝は、
気紛れから訪れたライブ・スポットで良に出会い、彼をスカウトする。滝の手腕もあって、デビュー後の良の売り出しは順調に見えたが、
二人の関係にはいつまでも、支配しようとする者と支配されまいとする者の、張りつめた緊張が漂っていた。
やがて、良を自分の最高傑作とよべる「作品」にしたいと、滝は他の仕事すべてを捨てて良専属のマネージャーの道を選ぶ。
表面だけは華やかな芸能界の中で、さまざまな男や女と関係を持ち、しだいに悪魔的なものをその身の中に育てていく良と、
それを承知でいながらなお、良を深く愛さずにはいられない滝。彼らの関係は、良が滝より力ある存在、結城との恋に落ちたことで劇的な変化を余儀なくされる。
物語自体はピグマリオン伝説のバリエーションの一種ともとれるが、かなりの長編でありながら、
底流に昏い熱気のようなものがほとばしっており、その力で一気に読まされる。
今西良というキャラクターの造形――世界の周辺でうち捨てられた子供――の孤独な姿には、
その後もこの作者が繰り返し表現し続けているテーマの原型があるように見える。

余談だが発表時、本作を読んだ大島渚は「この作品の登場人物は皆、鉄のペニスを持っている」と評したそうだ。
 

『栗本薫/中島梓 JUNE全集 第1巻』(マガジン・マガジン)
今ではもうよく知られていることだが、かつて雑誌「JUNE」が創刊(当時はJUN)されたとき、
書き手が極端に少なかったため、佐川編集長とともにその立ち上げに加わった栗本薫(中島梓)が、
さまざまなペンネームを用いて、小説をはじめ、エッセイ、評論、詩歌から写真のキャッチコピーに至るまで、
掲載される文章原稿のほとんどを手がけていた。本集にはその頃の作品の主たるものを収録したもので、
アラン・ラトクリフ名義の「鍵のかかる部屋」、神谷敬里名義の「少年―展覧会の絵より」「棘―展覧会の絵より」「松虫」(衆道もの)「
稚児」「特別手記 ある同性愛者の告白」、滝沢美女夜名義の「無明心中」「心中西国譚」(のちに栗本薫名義で単行本化)、
沙羅名義の「元禄無頼」(のちに栗本薫名義で単行本化)、栗本薫名義の「恋ヶ淵心中」「逃げ水」(摩利と新吾外伝)「悪魔大祭」(グイン・サーガ外伝)
「The END of The World」(続・翼あるもの)「終わりのないラブソング」(1作目)、
中島梓名義のエッセイの数々(TVドラマ「七人の刑事」の脚本を書いたときの顛末記、ロックミュージカル版「ハムレット」の脚本をダイジェストにしたような掌編、
「美少年学入門」第1~4回ほか)などが集められている。
架空の作家の作品として、とりわけ異質な光を放つのが、前半に収録されたジュスティーヌ・セリエ名義の作品群。
ごていねいにも「あかぎはるな・訳」のクレジットや、作者の年表までついているのだ。
おかげで当時、ジュスティーヌ・セリエの実在を信じた読者が、パリ旅行の際、書店で彼女の本を買い求めようとして店員に「そんな作家はいない」と言われた、
という疑問の手紙を編集部に送ってくる、ということもあったという。
実際、セリエ名義で書かれた「薔薇十字館」「DOMINIQUE ドミニック」「聖三角形」「獣人」の4編は、デカダンの香気高く、
ストーリーはいずれも魔性的な美を持つ少年に主人公の男が惹かれて自滅する、というものだが、登場する美少年はいずれも誇り高く唯美的で、
外国人作家の作品だよ、と言われてもおかしくないムードが文章に漂っていた。
今の栗本氏はこうした作品を書くことがまずないが、それだけに、これらのまさしく“美に耽した”作品は貴重かもしれない。
竹宮惠子、石原豪人、木原敏江、吉田秋生など、豪華なメンバーによる雑誌掲載時の挿画がほぼそのまま見れるのもうれしい。 


『神の子羊』のりす・はーぜ(光風社出版/?T~?V巻完結)
漫画家・竹宮惠子の代表作「風と木の詩」の後日談を、
竹宮惠子の「戦友」であり当時のマネージャーであった増山のりえが小説として描き、作家デビューを果たした作品。
舞台は1960年のフランス。コンセルヴァトアールの楽理科に学ぶ少女フランソワ―ズは、
今は亡き作曲家セルジュ・バトゥールの音楽に魅了され、彼の来歴を調べていた。研究のため、
セルジュの実家であるバトゥール子爵家に手紙を出したのがきっかけで、バトゥール家の晩餐会に招待された彼女は、
同じくセルジュに憧れる同族の少年、アンリ・バトゥールと親しくなる。
だが、二人の熱意とはうらはらに、バトゥール子爵家のセルジュへの評価は低く、邸内にも別荘にも、資料はほとんど残されていなかった。
数少ないヒントをひも解いて、彼らはアルルへ向かい、セルジュの親友だったカール・マイセの弟セバスチャンの子孫にあたる画家のヴィクトールから、
さまざまな手がかりを得るが、ヴィクトールはアンリにこう警告もするのだった。
「今の君がセルジュの生きざまに触れたら火傷するに決まってる」と……。「風と木の詩」の後日談、というより、
それを元にしたオリジナル作品、と呼ぶほうがいい作品。
だが前半は、フランとアンリがセルジュの痕跡を追う道程で、
セルジュのみならずカールやパスカル、パットなど登場人物の生き様が断片的に立ち現れてくる様子はスリリングで興味深い。
竹宮惠子氏自身、セルジュのその後の人生を描いてみようという考えはあったらしく「風木」完結時に中島梓との対談でも漏らしているが、
その構想を裏付けるように、セルジュが「風木」では物語の比較的初めのほうに一場面だけ登場する、ジルベールそっくりの少女イレーネと
結婚した事実が明かされるくだり(しかも二人の間に生まれた息子はジルベールに瓜二つ)など、ある意味感慨深い。
後半になるに従って、登場人物たちが自由に動き出し、セルジュの足跡を追うというより、アンリとフランの関係の変化、
アンリと彼を翻弄する謎の少年マシュウとの恋物語に集約されていくのだが、「風木」との共通項として、
これらの経験を通じて主人公たちがどう成長していったかを描く「教養小説」の面が強い。
エピソードのひとつとしてアンリと画家ヴィクトールとのロマンスも描かれるが、
過去にカールがセルジュを愛し、セバスチャンもセルジュに憧れていたことを考えると、
この兄弟の思いはアンリとヴィクトールの間に生まれる信頼と結びつきという形で成就したのでは、と思える。
とはいえ正直、読みおわるとセルジュの人生についての謎はより多く残り、
その点についてすっきりしない感覚があるものの、物語の進行に合わせテーマも変化していくので、致し方ないところか。
とまれ、著者は音楽家になるべく英才教育を受けた人物ということもあり、
全編、音楽と芸術に関する知識や薀蓄が散りばめられており、それらを詳しく読んでいくのも楽しい。


「執念の家譜」永井路子(講談社文庫『執念の家譜』収録)
時は鎌倉時代。鎌倉幕府存続のため、各豪族の力を利用する北条氏と、豪族のひとつ三浦一族との間には、
40年の長きにわたって続く、暗く深い宿縁があった。衝突し、争いを繰り返しながら増幅されていく一族の憎悪のなかに、
鎌倉武士のありようを生々しく描いた中篇。
背景として、三浦光村と北条家の青年(少年)たちとの二代にわたる衆道関係が描かれます。


『忍者からす』柴田錬三郎(集英社文庫)
南北朝の時代、渡来人と絶世の美女との間に生まれた赤子は、長じて「鴉」と呼ばれ、巨大な忍者組織の頭領となった。
以降、代々、忍者鴉は時代の影に暗躍する存在として、様々な貴人、歴史に名を残す人物の生き様に関わり続ける。
短編の連作ですが、「山中鹿之介」の章では、鹿之介と彼が奉じる尼子の遺児、勝久との衆道関係が描かれ、
また「幡随院長兵衛」の章では、侍らせた若衆を弄ぶ描写が見られます。


「世継物語」南條範夫(光文社時代小説文庫『元禄絵巻』収録)
「家督を継ぐべき男児をもつこと――
これがあらゆる大名の最大の仕事なのである」と定義されていた時代、五代将軍綱吉には世継となる男児がいなかった。
男寵を好み、美童を愛することをやめない将軍に、いかにして女性を近づけ子をもうけさせるか、に苦心する江戸城内の狂奔、
ひいては綱吉自身が「生類憐みの法」を発令するに到る騒動を描き、元禄時代の政治の畸形化を描いた一編。
「華麗なる割腹」南條範夫(光文社時代小説文庫『華麗なる割腹』収録)


『神州魔法陣』都筑道夫(桃源社)
独楽つくりを得意とする大工の巳之吉と、因縁ある浪人の内藤端午のコンビが、
江戸八百八町を脅かす怪人・策謀の影を向こうにまわして活躍する伝奇長編小説。
平賀源内など、歴史上の人物を敵役に仕立てた設定も面白いのですが、
最もユニークな登場人物は、銀蔵一家のチンピラで、「弁天の菊」と異名を取る美少年・菊之助。天性の男たらしで、
巳之吉にしなだれかかったかと思えば、女と見せかけて端午に抱かれ(しかも、抱かれていても男と気付かれない技を心得ている )、
しかし、いざという時は二人を助けて怪人と戦う気概もある。
彼が登場すると、物語がユーモラスな味わいを持ちつつも別の怪しげな色どりに変わり、なかなか楽しめます。


「華麗なる割腹」南條範夫(光文社時代小説文庫『華麗なる割腹』収録)
三代将軍家光の死後、恩寵にあずかった重臣たちは追腹を切り殉死した。
さらに、彼らに殉じて死を選ぶその家臣たち。本腹(心から旧主を慕っての追腹)、
論腹(理論上、どうしても切らねばならぬ立場に追い込まれたものの追腹)、商腹(損得を計算したうえ、死によって家門のためをはかる追腹)など、
目的は人さまざまながら、必要をもって殉死していく男たちの姿に、武士の美学を描く短編 。
中の一人、阿部対馬守重次は、小姓粉小高準之助と深い衆道の契りを交わしており、
挿話にひとつとして彼らの心情と閨のやりとりが細やかに描かれます。また、同時収録の「一族自刃、八百七十名」は、
入道高時のもと、四日三晩に亘る鎌倉合戦ののち、史上類を見ない鎌倉武士の集団自刃の真相にせまるともに、
「死なば諸共」という武士魂の壮絶さを、背後にひそむ紙一重の甘美な陶酔とともにえぐり出した作品。
こちらでも、一場として、念友の契りを交わした城越前守有時と秋田城介師時の死と、彼らの互いに寄せる熱い思いが描かれます。


『われら旗本愚連隊』〈上・下〉柴田錬三郎(集英社文庫)
江戸時代中期、困窮した旗本小普請組の中で、剣が立ち、それゆえに無頼に走る青年武士たちの無軌道な生き様を描いた長編小説。
基本的に、登場人物の中に衆道趣味の人間はいませんが、一人、桜田優之介という「歌舞伎の女形と見まごう」ほどの美男子がいて、
彼が女装して大奥に乗り込んだり、富豪の商人あいてに陰間の真似事をしたり(しかもほんとうに寝てしまう)、
旗本仲間のひとりに血迷われ「抱かせろ」と迫られたりもしてくれます。ただ、当時の旗本が置かれた立場の軽さ、
武家社会の閉塞感などが書きこまれるため、一種の冒険談ながら爽快感は薄いですが、優之介の活躍にご興味のある方はご一読を。


『源内先生船出祝(げんないせんせいふなでのいわい)』山本昌代(河出文庫)
幼年期より神童とよばれ、数々の学問に精通し、エレキテルの発明等で江戸中期に時の人となった平賀源内の数奇な人生を、
同時代の文化人・学者たちとの交流のなかに描いた作品。
作者の視点はしかしクールで、対象を突き放す淡々とした語り口のなかに、あらゆる事象に手を出しながら、
何ひとつ後世に残すことはかなわないのではないか、という源内先生の晩年の焦り、
ひたすら生き急いだゆえの孤独な姿にスポットを当て、天才とよばれた男の深奥に忍び寄る「老い」と「無常」を浮き彫りにします。
若衆買いを好み、独身を通した源内先生が、唯一執着するのが直武という弟子の青年なのですが、
長年に亘る交流にもかかわらず、実は俗物で、他人に無関心なこの男の本性を、目利きのはずの源内先生が見抜けず、
理想の存在と思い続けるというエピソードが、全体を貫いて描かれており、
それがまた哀しくもあり、滑稽でもあり。所謂歴史の教科書で紹介されるのとはまったく別の源内像が表現された一冊です。


「柳枝の剣」隆慶一郎(講談社文庫『柳生非情剣』収録)
「愛は語るものなのか。
己れのうちこんでいる仕事について、己れの夢について、人の世の素晴らしさ、醜さについて、深い理解をもって話し合いながら、
そこはかとなく倖せを感じることこそ愛なのではないか。
そんな愛が女たちと果たして交わされるものだろうか。そんな愛に応えられるのは、男しかいはしない。
衆道というとひどく忌わしい感じがするが、それは女たちの嫉妬にすぎないのではないか。
男を本当に理解できるのは男だけである。理解の上に基づいた愛を望むなら、男は男しか愛の相手に選ぶことは出来まい。」(本文より)

色白の肌に涼しい眉目、紅を塗ったような唇。
類稀な美貌の左門友矩(とものり)は、柳生家の家長で将軍家指南役である父に指名され、
将軍家光の稽古相手に上がる。家光の傲慢な剣に対し、真の剣の道を知らしめるべく、ひたすら打たれることに耐える左門。
その相克を通じて、二人は恋に落ちる。その長く激しい恋は、その情熱の深さのゆえにいつしか柳生家内部の確執を生み、
左門の身にも悲劇をもたらす。剣に生きる柳生一族を題材にした短編連作のうちの一編。
男同士の情愛とはどういうものか、が掘り下げて描かれ、とりわけ家光が、
自分の竹刀を受けて左門の肌に残る痣に口づける場面は、何とも官能的。

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