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shinobu様ご推薦

『少年愛の連歌俳諧史 菅原道真から松尾芭蕉まで』喜多唯志(沖積舎)
連歌、俳諧の歴史は男性のものであり、その内容や美意識は男の生理によって育ってきた、という考えをもつ著者が、少年愛・男色をキーワードに綴った連歌・俳諧史。
「天神と梅」の章では、菅原道真をめぐる閨閥事情をかれの句から読みとり、「連歌と梅」では、のちの世阿弥をはじめ多くの稚児たちへ思いを寄せる句について言及し、
「戦国ポルノ」と題された章では、「稚児草子」に代表されるような稚児への性的な思いをあからさまに詠んだ作品が紹介され、「武将と小姓」では戦国時代の武将と寵童たちの姿が語られ、
「切腹と美少年」では、本能寺の変などにみられる、主人に殉じた小姓たちの切腹にまつわるエピソードを語り、「衆道貞門」では徳川時代の若道とその気風を詠んだものが綴られる。
しかし圧巻は後半の多くを占める松尾芭蕉についての言及で、彼の衆道趣味、愛弟子・杜国との、
おそらくこうではなかったかと思われる深い関係、を彼らの交わした多くの句を紹介しながらひも解いていく章の数々である。
そして、すべてを語り終えた著者の結論は、このようになる。「少年愛、男色は、日本の風俗や文化、あるいは権力機構の中枢にまで影響し、
美意識の根幹となっていると思われる。今日多数派原理によって、少年愛、男色がアブノーマルなものと見なされているが、
何が正常で何が異常かという価値判断はナンセンスであり、両方ともあるのが人間の証明ではないか。人間の性癖や価値観にはいちがいに解答が出せない。
異性愛、同性愛とも受け入れてこそ、自由な、洗練された恋愛関係がなりたち、生の美学が生み出されるのではないかと考える。」


『江戸の性談 男は死ぬまで恋をする』氏家幹人(講談社)
『武士道とエロス』の筆者が、江戸の性愛文化の多様さを研究したもので、当然ながら衆道についての記述も多く含まれている。
プロローグの「美少年礼賛」では、薩摩の男色のバイブル『賤(しず)のおだまき』が解説され、第二章「お尻にご用心」では、
現在に比べてアナルセックスが市民権を得ていたとおぼしき様子や、丁稚奉公などの少年たちがいかに年長の男たちから狙われていたかという事例、
男色の対象にされる少年たちの痛みの慣らし方、陰間茶屋でのつらい勤めの模様、変生男児について語られる。ついで第三章「あぶない少年時代」では、武士の男色について触れられ、
福井藩や土佐藩で実際に起こった「美少年拉致レイプ事件」や、大名や将軍家の男色好み、時の政治と深く関わった衆道問題、『藻屑物語』や鍵屋辻の決闘にみる死と背中合わせの危険、
渡り小姓たちが起こした事件の数々が述べられ、第八章「誰よりも君を愛す」では「男の最期は男が看取る」として、
もと仙台藩主の伊達綱村の最期と、寵臣・秋保中務(あきうなかつかさ)の関係について深く観察し言及している。
テーマは前述のようにあくまでも「江戸の性文化」だが、男色について扱った章が質・量とも最も充実しているように思う。


『江戸の恋―「粋」と「艶気(うわき)」に生きる』田中優子(集英社新書)
“恋”というキーワードで江戸文化をひも解く評論集。
「七 男色」では「長い抑圧の歴史を持ったヨーロッパに比べ、江戸時代の日本は男色がじつにノーマルであった」と、武士のみならず、庶民までが参入した当時の男色模様が語られる。
特に力が入っているのが平賀源内と小野田直武の関係について話すくだりで、源内の家にいつも暮らしていたという複数の男性のうち、
小野田直武は特別な存在だったと指摘し、二人の関係についての来歴と推察が述べられている。
著者は、源内の獄死と直武の死にまつわるエピソードについて「私はこれが歴史上の恋、世紀の恋、だと思っている」と締めくくっている。


『同性愛のカルチャー研究』ギルバート・ハート/黒柳俊恭・塩野美奈訳(現代書館)
ゲイの当事者であり、1960~70年代の欧米の性革命をリアルタイムで体験した著者が、人類学者としての深く広い知識をもって、
セイム・セックス(同性どうしのセックス)に対するさまざまな文化的諸概念、歴史、多文化における扱い等々について論じた一冊。
著者曰く「入門書」のため「多数の文化の事例に触れることはできなかった」とあるが、それでも読み応えはかなりのものがある。
なかには日本の「衆道」について触れた箇所もあるが、おそらく日本人が読んでも記述的・解釈的に違和感をおぼえることはほとんどないと思われる。


『同性愛の社会学―イギリス・ルネサンス―』アラン・ブレイ/田口孝夫・山本雅男訳(彩流社)
中世後期のキリスト教モラルが継承されるルネサンス期のイギリスで、同性愛が“悪”としてうとまれ、迫害された歴史を追う研究書。
風刺詩をはじめ、当時のさまざまな文献からの引用が多く用いられ、当時の日常になかにあった男色模様(男娼宿や、劇場を中心とした売春など)について言及されている。
臭いものにはフタをする、ではないが、当時の人々が日常的に存在する同性愛と、忌むべきオブセッションとしての同性愛をあえて切り離し、
別物として考えていた、というのは、ある意味現代にも通じるようで面白い。その他、モリー・ハウスという同性愛者のサークルや、
同性愛が歴史的にどのような経緯を辿ったかという旨についての記述もある。


『ラヴェンダースクリーン』ボーゼ・ハドリー著/奥田祐士訳(白夜書房)
「本書で取り上げた作品たちは――いずれもゲイの主要人物が登場するか、ゲイ的な環境が舞台になっている――
どのようなグループの作品にも増して魅惑的であると同時に、映画の製作サイド、スターたち、そしてそのテーマについて、さらには変化をとげてゆく社会状況について、
通常以上に多くを明かしてくれる。」(著者まえがきより)“ゲイ&レズビアン・フィルム・ガイド”と称して、同性愛をテーマにした、もしくはそれを匂わせる作品を羅列、研究した一冊。
取り上げられている本数はあまりに膨大だが、主なものを挙げると「制服の処女」「去年の夏突然に」「噂の二人」「サテリコン」「真夜中のパーティ」「マイラ」
「ロッキー・ホラー・ショー」「Mr.レディMr.マダム」「メーキング・ラブ」「モーリス」、
その他ヴィスコンティ作品、シュレシンジャ―作品、ファスビンダー作品ほかetc、etc。詳しい解説のみならず、豊富なスチールやそれに添えられたキャプションなども読み応えがある。

『ガニュメデスの誘拐 同性愛文化の悲惨と栄光』ドミニック・フェルナンデス/岩崎力訳(ブロンズ新社)
文学者として名をはせ、《戦闘的同性愛視者》(この場合は、同性愛者であることを隠そうとせず、むしろそれを誇示し、同性愛者に市民権を与えようと活動する人、と解釈される)
である著者が「風俗習慣の解放という流れのなかで、征服と勝利の決算書として構想」した評論集。同性愛は人間の本能に基づくものか、それとも文化の産物かを論じることにはじまり、
警察や医学が同性愛をどう扱ってきたかを俯瞰し、ルードウィヒⅡ世や過去のヨーロッパにおいて同性愛についての著作を残したパイオニアたちについて検証し、
心理学をはじめとするさまざまな同性愛についての書物をひも解きながら、古代ギリシャの楽園への夢想を否定する。美術・音楽・文学・映画にも多く言及され、
資料としても興味深く読めるが、論旨の底には一本厳しい筋が通っている。即ち「私たちの苦悩、欲求不満、個人的問題がどんなものであれ、
私たちが生きるうえで、ある作品が助けになるかどうかを決める唯一の基準は、その文学(作品)的な質だけだ」というところに、著者の厳しい目と信念が感じられる。


『古代ギリシアの同性愛』ケネス・ドーヴァー/中務哲郎・下田立行訳(リブロポート)
ギリシア語教授を経て、オックスフォード等の学長も務めた学者ドーヴァーが、長年心血を注いだ古代ギリシアの研究の一貫として「前八世紀から後二世紀に至るギリシアの、
各時代各地域の庶民の同性愛に対する態度を克明に分析しようと試みる」著作。
同性愛を描いた数多くの壷絵や刻文が研究され、図版資料も豊富に掲載されている(やや残念なのは、それらが全て白黒でしか掲載されていないこと)。
だが、著者はそれらを研究の重要な資料として捉えつつ、古代ギリシャを語るにおいてよく引き合いに出される芸術作品やプラトンの哲学などよりも、
当時のアテナイ人の考え方や同性愛の男性達の法的資格、金銭の問題、「美少年」たる美の基準、教育方法やセックスの方法、軍隊編制において同性愛がどう利用されたかなど、
むしろ政治的、日常的な面を重視しつつ、古代ギリシア人が同性愛のなかに、いかに強固な人間関係を求めたのかをひも解いていく。


『ポンペイ・エロチカ ローマ人の愛の落書き』アントニオ・ヴァローネ著/本村凌二監修/広瀬三矢子役(PARCO出版)
ヴェスヴィオ火山の噴火で灰に沈んだ古代都市・ポンペイ。発掘されたこの都市の遺跡や壁画に残された落書きから、当時の人々の愛のかたちを読み解く研究書。
第16章「少年愛」では、売春宿で待つ少年たちをはじめ、女性の誘惑にうんざりした男が男色に手を出した様子、
ホモセクシュアルは容認されていたが受け身の方は否定的に見られていたこと、三角関係の模様などが解説されている。
なお、落書きのひとつには、このような文章があるらしい。

「もし美しく生まれてきて、好意を寄せてくれる人に、その尻を差し出さないのなら、美しい乙女を愛する人が、喜ぶような幸運を持てない」(本文より)


『ヒエロニムス・ボスの『快楽の園』を読む』神原正明(河出書房新社)
「さまざまな象徴言語がはりめぐらされた中世図像のエンサイクロペディア」「見る者に知の限りを尽くした解説を迫る難解な哲学」と評される、
ヒエロニムス・ボスの最高傑作と名高いパネル画『快楽の園』(プラド美術館蔵)。研究が尽くされてきたにも関わらず、いまだ謎の多い本作を、
描かれた図像のひとつひとつに詳細な解説を与えることで読み解こうとした一冊。
中央パネルの「貝を運ぶ男」についての解説では、二枚貝の中に隠れる二人の人物は男色家であるという説明がなされる。
また、右翼パネルの「僧院」部分については、鍵に吊るされた男性は男色の罪において罰せられている、と読み解くなど、
中世にしばしば行われていた男色行為が、この作品の中に表現されているという言及がみられる。興味のある方はぜひ図像と見比べながらご一読を。


『美少年尽くし』佐伯順子(平凡社)
雑誌「太陽」に連載されたエッセイをまとめた一冊。
『田夫物語』『色物語』『男色大鑑』『葉隠』『仮面の告白』などをテキストに、「カタカナまじりのやわらかい文章」で
「極力明るく軽い印象で、江戸の男色文化に漂っていたあるホガラカさを表現したかった」とあとがきにある通り、
あくまでも前向きな解釈で、テンポよい語り口をもって描かれる江戸期の美少年愛と、男色家たちの体現する日本的美学は、
しかめつらしい評論集を山と読むよりすんなりとこちらを納得させるものがある。客観的になりすぎず、
かといって男色家たちの視座にべったりにもならない、作者の聡明な視点があるためだろう。


『美少年学入門 増補新版』中島梓(ちくま文庫)
1978~83年まで、雑誌「JUNE」に連載された同名のエッセイを中心に「美少年(もしくは美青年、美中年)とは何ぞや?」というテーマについて語りつくした一冊。
雑誌が雑誌だけに、同性愛について言及した箇所は多いものの、そればかりが語られるわけではないので、食い足りないと思う向きもあるかもしれないが、
散りばめられた著者の豊富な知識(小説・漫画・古今東西の人物についてなど)は色んな意味での参考資料ともなります。
竹宮惠子、増山のりえ、青池保子、木原敏江、ささやななえこといった豪華メンツとの対談に加え、
巻末には旧制高校を舞台に少年同士の恋を描いた短編「遊戯」も収録されている。


『現代ロックの基礎知識』鈴木あかね(ロッキング・オン)
タイトル通り、各章に様々なキーワードを掲げ、それに沿って新たな視点からロック史を検証するという画期的な「ロック学」本。
単にロック史を学べるだけではなく、ドラッグや北アイルランド紛争の問題なども詳しく述べられており、なかなかためになる一冊になっている。
「第六章 ゲイとは何ぞ?」では、ロック史におけるゲイ・カルチャーの変遷と立ち位置を検証する。
古代ギリシャ時代に始まるゲイ史の解説は駆け足だが「人類と同性愛の歩み」という年表も添えられていて、初歩的なものとしては非常にわかりやすいし
、現代の差別の根拠としてのエイズ、近代心理学の存在にも言及されている。それらを検証したうえで、いかにゲイ・アーテイストたちがロック界で活躍してきたかを解説している。
主に名を挙げられているアーテイストは、バイセクシャル宣言を売りにしたデヴィッド・ボウイ、ミック・ジャガー、ダンス・ミュージック派のPSBやヴィレッジ・ピープル、
「ゲイの権利を音楽で訴えた」コミュナーズ(ジミー・ソマーヴィル)、いわずと知れたフレディ・マーキュリーなど。特に最後の、ヘテロとゲイの思春期の違いに関する考察が興味深いが、
最後の著者の言葉「『禁断の愛だからこそ崇高なのだわ』とヘテロが勝手にうっとりするのは、大きなお世話というものだ。」には私もおおいに共感するものである


『私は河原乞食・考』小沢昭一(三一書房)
識者で知られる俳優・小沢昭一氏のエッセイ集。初版は1969年。
「Ⅲ ホモについての学習」では、男色経験のない著者が、役者の鏡とあがめる殿山泰治に「オトコを知らずして、イイ役者になれへんど」と説教され、
ゲイバー通いを試したことにはじまり、周辺の「男色家及び男色家予備軍」を観察した結果、芸とゲイ(GAY)の結びつきに関心を持ち、
自らその道の専門家に話を聞き、教えを請うた内容が記録されている。ゲイバー「青江」のママへのインタビューや、
ゲイバー愛好家で知られた漫画家・富田英三氏の著作や『講座日本風俗史』(別巻三、衆道風俗について)などの資料の濫読に紹介、
大阪と東京のハッテン場の見学、「男子相互友好の会」会長に取材し「ホモになりたい人間とはどういう人間か」などの質問をぶつけ、
さらに、俳優志望の売り専ボーイたちの姿を綴り、同性愛についての諸学説を検証し、最後に日本の芸能史をゲイの視点で一望する。
あくまでも「自身に男色の趣味はない」と言う著者だが、知的好奇心のおもむくまま綴られる60年代の男色風俗や、自ら俳優を生業にする人物の目から見た日本芸(ゲイ)能の内幕、
実はマッチョな人気スターが裏では……など、小話的な記述も多く、風俗史としても楽しめる


『昭和美少年手帳』(河出書房新社)
高畠華宵、山口将吉郎、伊藤彦造、山川惣治、石原豪人などの著名な挿絵画家による、昭和期の少年・少女雑誌を彩った美少年画を紹介した一冊。
衆道に直接関連があるのは石原氏の作品(何といってもJUNE掲載分)ぐらいですが、凛々しい若武者像のストイックな色香なども印象的です。
巻末のコラムも、日本での美少年像について「文学に書かれた美少年」「少女漫画の中の美少年」などを紹介していて、なかなか楽しめます。


『ごめんあそばせ独断日本史』杉本苑子・永井路子(中公文庫)
歴史小説を代表する女性作家二人が、通説のなかに埋もれた歴史の真相を対談形式で発掘する日本歴史評。
蘇我氏の血脈に始まり、明治維新以降までが取り上げられていますが、「戦国人の魅力」という章では、「戦国武士の男好み」と題して、
当時の衆道のあり方に言及、短いページ数(文庫にして3ページ強)ながら、
信長と乱丸などの例を挙げ、衆道とは何ぞや? という疑問を歯切れよく解説していくさまはさすが、かつ痛快です。


『男色演劇史』堂本正樹(出帆社)
統演劇の通低音として流れる男色性に注目し、数多くの能・狂言・歌舞伎より、それらを具体的に表現した作品について言及し、本質に迫ることを試みた一冊。
主に取り上げられているものは、狂言『文荷(ふみにない)』『老武者』『八尾』、能『鞍馬天狗』『東心坊』『粉川寺』『岡崎』『大江山』『枕士童(菊慈童)』『花月』『友』など。
歌舞伎では若衆歌舞伎の歴史から背景、衆道に関する文献やその作者への言及を経て、作品の詳細を読み解いている。資料提供で多く江戸川乱歩が協力しているとのこと。


「乱歩打明け話」江戸川乱歩(筑摩書房『ちくま日本文学全集 江戸川乱歩』収録)
「ところで、だんだん話が枝道へ入るけれど、その僕が十五歳のときに初恋をやった話があるのです。
もっともそれまでにも、七、八歳の時分からそれに似たものがないではなかったが、意識的な、まあ初恋といっていいのは、
十五歳(かぞえ年)の時でした。中学二年です。お惚気じゃありません。相手は女じゃないのだから。でも、まあ同じようなものかもしれない。つまりよくある同性愛のまねごとなんです。
それが実にプラトニックで、熱烈で、僕の一生の恋が、その同性に対してみんな使いつくされてしまったかの観があるのです。少しばかり甘い話なんです。」(本文より)


国内探偵小説の創始者として知られる江戸川乱歩が、十代の頃の同性との恋愛経験を赤裸々に綴った自伝エッセイ。
十五の美少年期に、上級生から付文をもらい、それがきっかけで盛んにラブレターをやりとりした事、その男と二人で蚊帳のなかで眠った事、
さらに同級生の少年とプラトニックながら熱烈な恋に落ち、そのときにすべての恋情といえるものを使い果たしてしまった事、などが描かれています。
乱歩の人となり、作品に流れる少年志向を知るうえで、短いながらも非常に重要なエッセイと思われます。


「もくず塚」江戸川乱歩(筑摩書房『ちくま日本文学全集 江戸川乱歩』収録)
「徳川初期の江戸に起こった武士道的男性愛の哀れに美しい事実談」である『藻屑物語』に心惹かれた作者が、
作品の来歴と物語の内容を解析するとともに、主人公たちが眠る浅草の慶養寺を訪れ、彼らの眠るもくず塚を見つけるまでを綴ったエッセイ。
ふりだしから作者が目的地にたどり着くまで、ちょっとした探偵小説の趣もあり、『藻屑物語』という古典の勉強にもなるし、楽しめる一編です。


「ソドムのスーパーマーケット」橋本治(河出文庫『秘本世界生玉子』収録)
「成長のプロセスで同性愛段階が必要になるっていうのは、〝ああいう人間になりたい!〟という衝動が子供の方にあるからで、
子供の見る〝ああいう人間〟は必ずや社会的存在で、そうなれば社会の方で受け入れてくれるという確信があるからこそそう思うんだもん。
だから、王子様は同性愛段階を経るけど、王女様(正確には将来王妃になるように育てられてる少女)は同性愛段階を経る必要はないんだもん。
何故かって言うと、王子様は将来立派な王様にならなきゃなんない。自分の父親が立派な王様かどうかは別にして、王子様である少年の上には、
燦然と輝く王様のモデルケースがブラ下がっている筈だもん。その〝燦然と輝く王様〟になろうとすんのが、これ又光り輝く王子様なんだもん。 
相手が自分の父親で、もうお腹が出て頭が禿げてたりすると、それは燦然と輝かないから(輝くかもしれないけど、どこの王子様が禿げたいと思うよ?)、
若く美しい親衛隊長なんかがいたりすると、少年である王子は彼の上に〝燦然たるモデルケース〟を見てポーッとなったりして、
男色が成立するんだけど、王女様は違うんだもん。(中略) 自立を求められる人間にだけ同性愛ってのが可能で、
レスビアンというのは自立を求めた女にだけ可能で、そんな例は今までの歴史からいって、ごく稀でしかない筈なのネ。
そんなサンプルの少ないものをアアだこうだ分析できないしネ――もしも私が女なら自分を叩き台にしてレスビアンのことも分るかもしれないけど、
あいにく私は男なので、レスビアンは分りません(ホントは分るんだけど、ここは男と社会の関係を問題にするとこだから、そう言ってゴマカスの)。
――だから、ここでの同性愛は男の話。」(本文より)

なぜ同性愛(男色)は疚しいのか? なぜ男たちは男の子のお尻で射精をはじめたのか?
なぜ世界は単性的(モノセクシュアル)な状況のまま動いているのか? なぜ男の同性愛はグロテスクなのか?
男色をキーワードに、提示される沢山のなぜ、なぜ、なぜ、を明晰な視点で、かつ、ミもフタもなく解析しつつ、世界が「男色」と名づけるものの正体を喝破する、怒涛の男色論文。
文体が「スチャラカチャン」を通しつつ、最後の真摯な訴えに到る様子には、読んでいてホロリとくるものがあります(いや、マジで)。


『蓮と刀 どうして男は“男”をこわがるのか?』橋本治(河出文庫)
「男の子は〝一人前になりたい!〟と思ったら、一人前の男に愛されない限り一 人前の男にはなれない。一人前の男は、男の子に〝一人前の男になるとはどういうことなのか〟
を教えてやらなければ一人前の男である資格がない――というようなことになっている訳です。
男色というものは、本来ならば、男の子を一人前にする為の成長のプロセスとして存在していたのだけれども、しかし現在ではもうそんなことはどっかに行っちゃって、
〝一人前〟もグッチャグチャなら、〝成長〟も〝オカマ〟もグッチャグチャだというようなことを、著者である私は、声涙共に下る大演説風に展開している訳です。」(本文より)


とは、以前の著作「ソドムのスーパーマーケット」への著者の付けたし文というか、解説なのですが、
その通りに「すべからく、男は男と寝るべきだ、セックスすべきだ」という基本的立場から書かれた、「ウーマン・リブ」ならぬ「男の子リブ」を宣言する、怒涛の評論集。
なぜ男は男を、息子は父親を怖がるのか? という疑問を解析しつつ、エディプス・コンプレックスなるものをでっち上げたフロイトを一刀両断し、
ユングやフロムを批判し、ベストセラー『「甘え」の構造』の化けの皮を引っぺがし、夏目漱石の『こころ』に秘められた男色性をあばき、
とどめにゲイ雑誌の文通欄に群がる欲望の渦に真っ向から立ち向かう。〝幼児語〟を櫛して書かれた評論の数々は、
「おじさん」で形成された日本社会の構造そのものを遠慮呵責なくぶった切るのですが、何というか、いま読むと、
橋本治が明晰な視点でこの頃(80年代)から暴いてきた数々の問題にケリをつけずに来てしまったのが、今の日本なのだなあとつくづく思い知らされるビミョーな読後感があります。


『江戸風流医学ばなし』堀和久(講談社文庫)
歴史小説家である著者が、長年にわたって蓄積した史料をもとに、江戸医学について記した随想集。
「男色(なんしょく)と羅切(らせつ)」の章では、当時の色子や陰間の様子が取り扱われ、また、戦国時代にもさかのぼって、
その政治的必要性について言及されている。 同時に、菊座の訓練法や潤滑剤の使用法なども詳しく説明されている。
「羅切」は「陰茎を切り取ってしまうこと」だが、こちらは男色との因縁は解説されていない。


『別冊歴史読本43 日本奇書・偽書・異端書・大鑑』(新人物往来社刊)
日本に古くから伝えられ、場合によっては発禁処分なども受けてきた、広い意味での「禁断の書物」を幅広く紹介する一冊。
艶本の章では稚児・衆道に関する書物もとりあげられ、各書の活字本や類似本についても付記されているので、調べものに便利。
紹介されている本は、かの有名な醍醐寺三宝院秘蔵の『稚児之草子』、日本衆道の開祖・弘法大師直伝の稚児性戯書といわれる『弘法大師一巻之書』、
仏教的立場から書かれた衆道論書『心友記』、稚児くどきの指南書『醜道秘傳』、衆道者への教訓を説いた『男色実後教』など。


『エロチカ文庫2 色道禁秘抄・下』福田和彦・著(KKベストセラーズ刊)
江戸時代に発行された性愛学書を、カラー図版による春画を交えつつ、現代的な思考で解読した書。
この下巻に「男子同性愛のこと」「アヌス・コイタスについて」というふたつの章があり、男色のはじまりや性行為の方法、
肛門による快感などをダイレクトに語っている。鳥居清信画の「双葉の貝合わせ」(稚児二人×男一人による春画)なども掲載されているが、
解説者が男色嫌いのため、解説がやたら非難めいているのは残念。


『男色の民俗学』礫川全次・編(批評社/歴史民俗学資料業書 第二期?B)
日本の男色研究史の中から、明治20年代~昭和30年代のレアな男色論を抜粋し収録した史料集。
それらの内容から、近代以前の僧侶・武士・芸能者という三種の勢力にはじまる男色の系譜が、
現代の自衛隊やオウム真理教にまで到っているとする、ユニークかつ説得力のある日本男子精神史。


『大江戸観光』杉浦日向子(ちくま文庫)
タイトル通り、はとバス感覚で江戸の日常、風俗を語るエッセイ集。
江戸っ子まんまの、いなせな著者の語り口に乗せられて、気分よく江戸時代へタイムトリップできる本。
伍章「お江戸珍奇」は、JUNE(今の小説JUNEではなく大のほう)に連載されたコラムをまとめたもので、変性男子、男色(主に平賀源内先生の著作について)、
一世を風靡した歌舞伎役者たち、芳町での蔭間づとめについてなど語られています。
が、著者の視点は「男でも女でも良いものは良い」とする当時の日本人と同じくしているので、実にあっけらかんと、
軽やかに、江戸風俗を知ることができます。楽しみながら勉強になる(?)一冊。


『男色の民俗学』
日本の男色研究史の中から、明治20年代~昭和30年代のレアな男色論を抜粋し収録した史料集。
それらの内容から、近代以前の僧侶・武士・芸能者という三種の勢力にはじまる男色の系譜が、
現代の自衛隊やオウム真理教にまで到っているとする、ユニークかつ説得力のある日本男子精神史。


『鏡の国の少年たち―世界映画に見る少年愛(ナルシス)の水脈』
タイトル通り、少年たちをテーマにした映画評論集。
なので正確には〈同性愛〉とはあまり関係ないのですが、いわゆる「寄宿舎もの」の作品を多くとりあげているので、興味ある方はどうぞ。
特に第2章「寄宿舎の少年たちⅡ」では、「1999年の夏休み」「寄宿舎―ジョルジュとアレクサンデル―」といった作品に多くのページが裂かれ、
登場する少年たちの恋と、その魅力について、観察眼溢れた記述がなされています。
他にもベルトルッチやタルコフスキーの各作品、「ベニスに死す」制作時のドキュメンタリー「タッジオを求めて」、フランス映画の少年たちなどに言及。
あくまでも少年美を追求、「映画を語ることで少年という美神を現出させるささやかな試み」に挑戦したいという著者の思いが溢れた論評集になっています。
ちなみに、収録された原稿の大半が過去「JUNE」誌に掲載されたもの。


『華文字の死想-日本における少年愛の精神史-』
「日本の同性愛が、その原点から、死との纏絡の形態において、形象化されている事実をあらためて確認しておこう。
死に脅かされ、死に阻まれつづけている愛。下の宴のように、危うさ、脆さに浸りつづける愛。それは、日本に限らず、時空を越えて少年愛の約束ごとであった」

と語る著者が、1972~87年の間に雑誌・著書に発表した少年愛・男性同性愛について語った随筆を集めた一冊。
「少年愛の精神史」「若衆美・試論」「殉死情死論-切腹小史」「幕末のアンドロギュヌスたち-馬琴論の試み」
「三島由紀夫・華文字の死想」「現代短歌にとって愛とは何か-塚本邦雄における死想の愛」など、文学・伝承・史料のなかに散りばめられたキーワードから
「死にいたる酷愛」のタペストリィを織り上げていく、松田宇宙の流麗な聡明さを堪能できます。


『無垢の力』 <少年>表象文学論(講談社) 
「いかなる現実的権力によっても凌駕されず、現実的な正誤判断によっては否定されない」という<無垢>の特性と、
それへの憧憬を描いた「少年愛的価値規範を描くテクスト」を通じ“文学には何が求められるか”を問いかける評論集。
取り上げられる作品は、川端康成『少年』、折口信夫『口ぶえ』、山崎俊夫『夕化粧』、江戸川乱歩『乱歩打ち明け話』『孤島の鬼』、
稲垣足穂『少年愛の美学』、三島由起夫『仮面の告白』『英霊の声』など。他にも森茉莉や長野まゆみ、JUNEに代表される<耽美小説>にも言及しつつ、
主体性・客体性をキーワードに「かつて日本文学の中に『少年愛』という形で共有された自己愛は、
形を変えて現在も存在する」ことを解き明かしていく、現代男性としては稀な観点で著された、貴重な近代文学論です。

『不思議図書館』寺山修司(角川文庫)
「けたはずれの好奇心と、独特の読書哲学」で著者が収集した書物を紹介したエッセイ集。
「18 歌うゴリラのシャンソン読本」では、
塚本邦雄が紹介による、スノッブ批判で知られたシャンソン歌手ジョルジュ・ブラッサンスが唄ったゴリラの唄を取り上げ、
その内容が、男色家のゴリラが檻を破って居合わせた判事を犯すまでを唄ったものであることを描き、
「22 千夜一夜の百科事典」では、王を前にして物語る処女シエラザードの性への知識の深さ、
地中海沿岸等に存在する<男色帯>の存在に触れ、最後をこう締めくくっている。

『「王様!」
 と、女装した男、シエラザードの声が聞こえるようだ。
「あなたが私を愛するのは宿命なのです。何をも怖れることはない。
ありきたりの女奴隷などを抱くよりも、もっと大胆にアラーの神のおぼしめしにお従いくださいませ」と。』


『戦後日本女装・同性愛研究』矢島正見 編・著(中央大学出版)
戦後日本「トランスジェンダー」社会史研究会の7年間の研究成果として発表された出版物。
女装者、女装者愛好男性等の人生に肉迫したライフヒストリーの研究を収めた1部と、
女装及び同性愛に関する論述の2部から構成されている。目次は下記の通り。

<第1部>
戦後日本女装者・女装者愛好男性のライフヒストリー―共同研究
(松葉ゆかりのライフヒストリー
美島弥生のライフヒストリー
女装者愛好男性A氏のライフヒストリー)
<第2部>
女装・同性愛に関する論考―個人研究
(現代日本のトランスジェンダー世界―東京新宿の女装コミュニティを中心に
「性転換」の社会史(1)日本における「性転換」概念の形成とその実態、1950~60
年代を中心に
「性転換」の社会史(2)「性転換」のアンダーグラウンド化と報道、1970~~90年
代を中心に
会員名簿からの演劇研究会会員43名の考察
1970、80年代の一般雑誌における「レズビアン」表象―レズビアンフェミニスト
言説の登場まで
戦後日本の雑誌メディアにおける「男を愛する男」と「女性化した男」の表象史
女装者との差異を語る「TS/TGであること」をする実践
性的マイノリティの人権保障―国際人権法を素材として) 

税別7,200円という価格は決して安くはないが、資料としてはかなり貴重なものなので、
興味ある方はぜひご一読を。

 
 
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